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眼
立ち止まって じっと ものを見る 眼は 実は そのまま 見られる眼 でもある
そして それは 蝶や魚の 眼状紋と 同じ 〓 機能を 持っている
眼状紋が 眼を 真似た のではなく
同じ 〓 【 眼状 】 デザインが 蝶の羽と 人間の顔に 表出した のだ
ここから 【 邪眼 】 の 民俗学から 見つめ合う 恋人たちの 恋愛作法まで
見る眼と 見られる眼の 多彩なドラマが はじまる
ややこしい 言い回しになるが 生物界に あまたある 眼状紋の 中で
最も大きな パワーを 持っているのは やはり 〓 【 眼 】 である
三星堆遺跡の 出土物に 見られるような 異様なまでの 眼の 強調が
人類文化における そのあたりの 事情を よく物語って いる
そして 人類は あらゆるものを 【 封じ・込める 】 こと
知を 凝集させる という戦略で 文化を 形づくって きた
⦿
暦 に 〓 時間 を …… / 護符 に 〓 悪霊 を …… / 漢字 に 〓 形 を ……
紙 に 〓 文字 を …… / 地図 に 〓 地球 を ………
楽譜 に 〓 音 を ……… / 香水 に 〓 香り を ………
【 封じ・込めて きた 】
多くの宗教も 良かれ 悪しかれ 精神 を ………
【 封じ・込めて きた 】
Pictorial Record:Number 03/THE NATURAL HISTORY OF THE ICONOGRAPHIC/PROJECT : 1993-1994
写真装置断章・光精密機械における10の物語
写真装置断章:序説 写真装置断章:光学装置誌 光学装置・眺望【写真鏡350年の文脈】 機能と技術の共犯関係【FILM+SHUTTER史】
形態と機能の所産【技術と機能の発明】 多様性のある側面【写真機械・類型】 珠玉の光学装置群【世界の銘機】 光輝く時間のPROPOTION【日・独機の歩行】
二重視像の渦【STEREO写真機の形態】 独自の装置文法【FRANCE機の軌跡】 結晶の制御【ZEISS LENSの現在】 収束光の密度【世界のLENS群】
TITLE/INDEX
写真装置断層TITLE 写真装置断層INDEX
{ 再び }取り組もうとした方法は _ こういうもので
以前と同様に[ 紙の上 ]に映った _ 風景の【 輪郭 】を{ 鉛筆 }で _ たどることだった
⦿
… そしてこの作業は _ カメラのレンズが紙の上に結ぶ 〓 { 自然の }絵の美しさを気づかせてくれた …
それは【 一瞬 】のうちに _ 生まれ
たちまち消え去ることを _ 運命づけられた【 妖精の絵 】であった
⦿
そんな _ 思いにふけっている間に _ 次のような考えが _ 浮かんだ
⦿
…… この自然の映像を永久に固定し _ 紙の上に[ 定着 ]することができたなら _ 何と素晴らしいことか ……
一般的に _ 写真の誕生は _ 1839 年の _ ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールによる
[ ダゲレオタイプ ]の発明公表と _ されている
⦿
しかし _ ダゲールをはじめとして _ 何人かの発明者達が _ ほぼ同時に 〓 研究を進めていた
⦿
[ ニエプス:ヘリオグラフィ | タルボット:ネガポジ法 / カロタイプ | バヤール:直接ポジ像抽出 ]
そして _ タルボットは _ 1844 ~ 46 年にかけて _ 世界最初の写真集{ 自然の鉛筆 }を _ 刊行する
⦿
さらに _ 忘れてはならないのが _ 写真機の前身となった【 カメラ・オブスキュラ 】であろう
⦿
ラテン語で _ 〓 【 暗い部屋 】を意味する _ この機械[ 箱 ]は
ルネサンス時代から 〓 スケッチ用補助具として _ 広く使用されていた
⦿
……【 聞香は _ 香の焚き出しの[ 瞬時 ]に限るが _ 如く 】……
……【 利酒は _ 含み始めの[ 刹那 ]にあるが _ 如く 】……
カメラ・オブスキュラに _ 映る【 像の獲得 】も 〓 こうした一瞬の【 時 】の上に _ あるといっていい
⦿
[ 移ろい ]ゆく _ 風景や _ 人間の姿を _ 固定し _ 時を[ 留め ]/[ 所有 ]したい
〓 瞬間を _ 永遠のもの _ にしようとする _ 人類不変の願望が _ 其処にある ………
index up
写真装置断章・序説
……… 収録図抜粋 ………
絵を描く道具としてのカメラ・オブスキュラ 暗箱から一眼レフカメラへ
       
  視覚イメージ装置の饗宴   幻灯機から映写機へ  
……… 収録文抜粋 ………
……{ 絵の描けない人は _ この装置を使って _ 鉛筆でものの輪郭を _ 描けばよい
〓 あとは _ 色を _ 塗るだけだ }……
ジオバンニ・バチスタ・デラ・ポルタ ❖【 自然の魔術 】

……{ 林立する煙突が _ 地平線を _ ふちどっている
⦿
なにしろ _ この装置は _ 見えるものいっさいを _ 記録してしまうから
煙突上端の煙の出口や _ 煙突掃除人まで _ ヴェルベデーレのアポロン像のように _ 公平無私な態度で
〓 見逃さずに _ 詳しく _ 描写してしまう _ だろうことは _ 疑いない }……
ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット ❖【 自然の鉛筆 】

……{ 画のように美しい庭の風景を _ 持ち運びのできる _ 暗箱に写し納め …(中略)…
そのおかげで _ 何よりも快適な 〓 何よりも興味豊かなコレクションを _ 所蔵するようになったのである
⦿
たずさえている _ 大きな紙ばさみを _ 彼は _ 婦人たちに _ 出して見せながら
あるいは画で _ あるいは解説で _ 婦人たちを _ 楽しませた }……
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ ❖【 親和力 】

……{ 父上 _ これは _ 本当の山羊なのですか _ ? }……
……{ 息子よ _ 私には分からない 〓 ダゲール氏に _ 直に聞いてみないことにはな }……
ダゲールが発明した _ ジオラマを見た _ ルイ・フィリップ王と _ 息子の ❖【 会話 】

……{ フランスの写真家ナダール _ 気球を使って _ 撮影したことによって
航空写真を _ 創始したといわれる
〓 [ 写真を _ 芸術の高みにまで _ 引き上げた _ ナダール ] }……
という _ タイトルのつけられた _ ドーミエの ❖【 戯画 】は _ ナダールの撮影風景を _ 描いている

……{ 上映のフィナーレは _ ビオスコープの小さな舞台越しに _ 所狭しと _ 踊り跳ねた
⦿
この天才的技師は _ 驚異に値する _ 瞬間写真を用い
それらを _ 静止した状態でなく _ 動きのある状態で _ 拡大上映した
⦿
〓 悪魔以外 _ その方法が分かる者は _ いないであろう }……
シュターツビュルガー = ツァイトゥング ❖【 紙 】

……{ お若い方 _ 私に感謝なさい
⦿
私の _ この発明は _ 売り物ではありませんが _ あなたが _ 手にすれば
災いのもとに _ なるだろう _ 代物なのです _ から
⦿
この発明は _ 科学的珍品として _ 当分の間 _ もてはやされる _ ことでしょうが
〓 それ以外には _ 商業的未来など _ 皆目ないのです }……
ルイ・リュミエール ❖【 談 】
index up
写真装置断層・光学装置史
……… 収録図抜粋 ………
光学装置史サンプル01 光学装置史サンプル02
       
  光学装置史サンプル03   光学装置史サンプル04  
……… 収録文抜粋 ………
……… 壁の[ 小穴 ]から[ 暗い部屋 ]に差し込む[ 光 ]が
反対側の内壁に _ 外界の[ 風景 ]を映し出す 〓 いわゆる _ ピンホール【 針穴 】による _ 光学現象は
すでに _ ギリシア時代から _ 知られていた
⦿
数々の科学者が _ こうした現象から _ 光学の法則を発見し _ 視覚装置を _ 発明していく⦿
ピンホールの原理を応用した _ カメラ・オブスキュラが _ 今日の写真機を _ 生み出す _
基となったのである
⦿
カメラ・オブスキュラ _ について
[ レオナルド・ダ・ヴィンチ ]/[ ヨハン・ケプラー ]/[ アタナシウス・キルヒャー ]
などが _ 様々なスタイルのものを _ 考案している
⦿
初期は _ 小穴を通して映った【 倒立像 】を _ そのままなぞって _ 模写する【 絵を描く道具 】として
また _ 太陽の[ 観測装置 ]として _ 用いられた
⦿
[ ハンス・ホルバイン ]や[ フェルメール ]といった _ 画家たちも
こうした[ 透過 ]装置を使って _ 自然を _ 忠実に[ 模倣 ]していった
⦿
写真の始祖とされている _ タルボット _ や _ ダゲール _ も 〓 元々は[ 画家 ]であり
カメラ・オブスキュラを使い _ 素描していく _ なかで
写真装置という _ 光の扉を _ 開いたことだろう ………
……… カメラ・オブスキュラの小穴に _ レンズを付けて _ より明るい像を _ 再現したり
凹面[ 鏡 ]をつけて _ 倒立像をもとに戻したり _ 小穴にはめ込んだ _ レンズの角度を変え
パノラマ風に _ 風景を映し込んで _ 遠近法を _ 演出したりと
カメラ・オブスキュラに _ 様々な改良が _ 加えられていく
⦿
なかでも _ 小型化されたことが _ 画期的だった
⦿
部屋の中で _ ピンホールを _ 再現するしかなかったものが
1646 年の _ キルヒャーによる _ 移動可能な考案を契機に _ 小型化する
1800 年代初めには _ 両手で持てる _ 小型ポータブルのカメラ・オブスキュラが _ 誕生
⦿
〓 今日の _ 一眼レフカメラの _ 原型が _ 出来上がることになる
⦿
1830 年代には _ 映す[ 像 ]を[ 定着 ]させる _ 試みが _ 次々に発明される
⦿
タルボットは _ 1835 年に _ 塩化銀紙の定着に _ 成功
1839 年には _ タルボット方式[ カロタイプ ]による _ 印画紙とカメラを _ 販売
⦿
1837 年 _ ダゲールが _ ダゲレオタイプ[ 銀板写真 ]を _ 完成させる
⦿
新しい視覚芸術としての _ 写真は【 瞬く 】間に広まり _ 実用化され 〓
1861年には _ パリだけでも _ 写真を【 職業 】にしていた人が _ 3 万人を数えた _ という
⦿
しかし _ 科学的な[ 精密 ]機械として _ 扱われるように _ なったのは
1920 年代に _ 入ってからである ………
……… カメラ・オブスキュラが _ やがて写真機へと _ 発展していった一方で
眼のレンズ作用で起こる[ 錯視 ]や[ 残像 ]現象を利用した _ 様々な視覚イメージ装置が
同時期に _ 次々と _ 発見 / 発明された
⦿
例えば _ トロンプ・ルイユ[ だまし絵 ]
⦿
鏡の筒に映すことで _ 初めて明瞭な像が見える _ 歪曲展開画や
遠近法を利用して 〓 【 あたかも 】奥行きが _ あるかのように見せる内壁画が
16 〜 17 世紀に出現する
⦿
しかしここでは _ 眼の錯視や残像が _ 解明されていた _ 訳ではなく
むしろ _ 来るべき視覚革命を【 予感 】した人々の _ イリュージョンが _ 先行して
こうした _ 視覚装置を積極的に _ 受け入れていった _ という方が _ よいのだろう
⦿
1645年 _ カメラ・オブスキュラの原理から _ 考案された _ マジック・ランターン[ 幻燈機 ]が
アタナシウス・キルヒャーによって _ 発明される
⦿
当初 _ [ 布教 ]や[ 見世物 ]に使われた _ この不思議な映像は _ 人々を魅了する
⦿
幻燈機で映し出される像を _ さらに大きく _ 自由に動かして
人々を驚愕させた _ ファンタスマゴリア[ 魔術幻燈 ]
細いスリットから _ 覗くことによって _ 残像現象で _ 一連の動きを再現させる
[ フェナキスチスコープ ]/[ ソーマトロープ ]
〓 1800 年代前半は _ 視覚イメージ装置が _ 一斉に開花した _ 時期であった
⦿
さらに _ [ 万華鏡 ]/[ パノラマ ]/[ ジオラマ ] _ が発明され
1851 年のロンドン万国博 _ 1900 年のパリ万国博は _ 映像の饗宴 _ と化す
⦿
こうした _ 動くイメージの再現が _ 20 世紀の芸術 〓 シネマを _ 誕生させていく ………
……… 1869 年 _ パリの生理学者 _ エティエンヌ・ジュール・マレーは
疾走する馬の四脚が _ 同時に地面を離れる _ 瞬間のあることを 〓
蹄に埋め込んだ _ 空気式の[ 律動記録 ]装置により _ 知った
⦿
しかし当時 _ この説を信じる人は _ 誰ひとり _ いなかった
⦿
1878 年 _ アメリカの写真家 _ エドワード・マイビリッジは
27インチの間隔で設置した _ 12 台のカメラを使って _ 12 コマの瞬間写真の撮影に成功した
⦿
さらに1880 年 _ 24 台にカメラを増やし[ ズープラクシスコープ ]という幻燈機を _ 使うことによって
〓 馬の四脚が _ 地面から離れることを _ 【 証明 】してみせた
⦿
それ以後 _ 1889 年に _ セルロイドフィルムが _ 発明されるまで
多くの人によって _ 連写メカニズムが _ 考案され続けた ………
……… いま _ 映画の歴史を振り返ってみると _ [ シネマトグラフ ]と共に _ 始まったといえる
⦿
〓 それは _ 19 世紀に _ 発明/発見された _ 様々な科学技術の【 産物 】の集大成 _ だった
⦿
光学を応用し _ レンズによって拡大描写する _ 幻燈機
⦿
銀板または銀メッキした板に _ 感光膜を塗って撮影し
ネガを経ずに直接陽画像を得る _ ダゲレオタイプ
⦿
回転するドラムの内側に _ 一連の絵が _ 貼り付けられ
ドラムの外側にある _ スリットから _ 覗き見る[ ディーダリウム ]
⦿
〓 それらの装置に _ 新しいフィルムが開発され _ 映写機は _ 発展していった ………
……… 現在 _ われわれが見ている映画は 〓 フランスの _ リュミエール兄弟によって _ 始められた
⦿
マレーの[ クロノフォトグラフ ]と _ エジソンの[ キネトスコープ ]の長所を _ 組み合わせた
カメラ兼用の _ プロジェクターを開発し _ 1895 年に _ 特許を獲得
⦿
同年 _ パリのカフェ[ サロン・インディアン ]で _ 一般公開を行ったのが _ 最初である
⦿
この時 _ 上映された映画【 列車の到着 】を _ 見ていた観客は
客席に向かって[ 進入 ]してくる _ 列車を避けようとして _ 総立ちになった _ といわれている
⦿
リュミエール兄弟以後 _ 新しい撮影機 / 映写機 /スタジオが _ 続々と作られ
アイデアも _ 生まれ 〓 映画は 【 産業 】と _ なっていった ………
index up
光学装置・眺望【写真鏡350年の文脈】
……… 収録図抜粋 ………
光学装置・眺望【写真鏡350年の文脈】扉 光学装置・眺望【写真鏡350年の文脈】・作画写真とアルバム01
       
  光学装置・眺望【写真鏡350年の文脈】・作画写真とアルバムINDEX01   no image  
……… 収録文抜粋 ………
……………………………… ◤ 写真術の誕生 ◢ ………………………………
16 世紀以来 _ ヨーロッパの画家たちは _ 絵画制作の補助的手段として
カメラ・オブスキュラ[ 写真鏡 ]を用いていた
⦿
その後も[ シルエット ]や[ カメラ・ルシダ ]などのように
人々は外界の[ 対象 ]物を _ 容易に写しとる道具を _ 発明し改良していった
⦿
19 世紀になると _ そうして得られた画像を _ 科学的に定着させようという _ 機運が起こり
多くの【 科学者 】たちの様々な試みに _ 改良を加え
1839 年 _ フランス人のルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが
ダゲレオタイプとして _ これを公表した
⦿
〓 世に言われる _ 写真の誕生であった ………

シルエット
18 世紀後期のヨーロッパでは _ 諸国の植民地政策が進み _ 様々な人種の交流する機会が多くなる中で _ 各人種の人相の研究を一つの学問として体系的に捕らえようとする機運が生まれ _ 流行した | 骨格の研究のため _ ローソクの火を使って人間の顔を描いた | 日本でも _ この影響を受けた版画が明治期に出てくる | 語源は 1759 年 _ 当時のフランスの大蔵大臣であったエチエンヌ・ド・シルエットにあるとされている

ダゲレオタイプのレンズとディスク絞り
伝来当初はレンズを[ 玉鏡 ]/ 絞りを[ 暗み ]と呼んだ | 絞りのことを英語で Disc diaphragms[ 円盤絞り ]と言い _ それを暗みを呼んだ当初の解説書より

錦絵 / 一川芳員[ 仏蘭西 ]
同年に正写横浜[ 異人図画 ]という冊子本も出しており _ これには外国人の風俗 / 習慣などが画かれていて _ 写真鏡と写真機が別々に図示されている | 1861 年

カロタイプ・ネガティブ[ CALOTYPE NEGATIVE ]
ギリシャ語のカロス[ 美しい ]とテュポス[ 形態 ]から取られたが _ その後 _ 自らの名前を取ってタルボタイプとも言われている

……………………………… ◤ 湿板写真 ◢ ………………………………
ダゲレオタイプは _ カメラ・オブスキュラに写る画像を
固定する方法の発見であった _ と言ってよい
⦿
その結果 _ 写る画像は _ それまでのように _ トレースすることなく
瞬時に _ 科学的に _ 定着させられるようになった
⦿
絵画や版画のような _ 永久性を _ もつことになったのである
⦿
しかし _ ダゲレオタイプは _ その[ 工程 ]に _ 未だ不安定なものがあった
⦿
1851 年に _ イギリス人フレデリック・スコット・アーチャーによって
[ コロジオン湿板法 ]が発見されると
若干の不便さは残るが _ ダゲレオタイプに比べると使い易いので _ 写真の[ 普及 ]に大いに役立った
⦿
日本で _ 写真が実用化されたのも _ このコロジオン湿板法からで
〓 全国各地に _ 写真館が _ 林立した _ と言われている ………

ビルクリフ湿板カメラ[ BILLCLIFF WET PLATE ]
ダゲレオタイプの鮮明さと _ カロタイプのネガ・ポジ法を合わせ持ち _ 露出時間を大幅に短縮した写真法 | この方法は撮影直前にコロジオンを引いたガラス板に感光性を与え _ 湿っている間に撮影し _ 現像を済ませる | 湿板のため感光度が遅く _ シャッターは無い | 露出はレンズキャップの開閉操作で行った

湿板カメラ
ボディはクルミ材で _ スライディング可能 | レンズはペッツヴァール型ポートレイト用で Paris' の刻印あり | 真鍮製のキャップ / フォーカシング・スクリーン付

[ 富國歩ミ初メ ]
蒸気船に輸入品を満載した引札に中に _ 湿板写真用品の一式がある | ゴールドフォトに使う塩化銀なども含まれている | 1880 年

……………………………… ◤ 木製写真機 ◢ ………………………………
カメラの語源は _ 部屋を意味するラテン語で光を【 遮った 】空間のことを指す
⦿
この[ 四角 ]い空間は _ 当時の[ 家具職人 ]たちが作ったもので
写真機の材料には _ 寒暖の差の大きい地域性を考慮して
狂いが生じないように[ ダンス ]を作る _ 乾燥保存された _ マホガニー材を流用した
⦿
特に _ 高級品として好まれた _ チーク材を用いたものは
当時の植民地の _ インドやアフリカ等熱帯地方で用いる装置として _ 珍重された
⦿
写真機の大きさは様々だが _ 当時は _ 引き延ばす技術が _ 開発されていなかったため
〓 原板の大きさが[ そのまま ]写真の大きさとなった
⦿
そのため異常に _ 大きな写真機が _ 作られた ………

大型スタジオカメラ
ロンドン _ バンヒル・ロウ _ O . Sichel & Co . 製 | スタジオカメラはレンズ無しで販売され _ 撮影者がその意図により交換レンズを選んで行うもの _ カメラスタンドは日本では[ 繰り上げ台 ]または _ 外見上がダルマのように見えたので[ ダルマ ]とも呼ばれた

スタンド・カメラ[ STAND CAMERA ]
艶出しされたマホガニー材 _ 無銘 | ラック・フォーカシング・エクステンション _ 前部は上昇可 _ 後部は左右に回転 _ 傾斜も可 | 1900 年頃

チャレンジ[ CHALLENGE ]
J ・リザーズ製 | 艶出しされたマホガニー材 | 空気作用によるボシュロム製シャッターには RR f / 7.7 レンズが付いている | ファインダーは両面使用可 | 1895 年頃

ザ・コロネット・カメラ[ THE CORONET CAMERA ]
艶出しされたマホガニー材 | 引っ張るとベローズが出てくる | 三脚の付いた回転台 _ ダブル・エクステンション・ラック・フォーカシング _ 前部は上昇可 | 1900 年頃

ポケット・メルヴェイユ[ POCKET MERVEILLEUX ]
J ・ランカスター & サン社 | 艶出しされたマホガニー材 | 引っ張るとスライディング・フォーカス付きのベローズが出てくる | 新特許の T & I( 手細工 )シャッター _ フォーカシング・スクリーン付 | 1900 年頃

……………………………… ◤ 作画写真とアルバム ◢ ………………………………
ダゲレオタイプの写真発明以降 _ 写真の技術的な革新は _ 日進月歩で
およそ 50 年後には _ 現在の写真の基礎となる技術が _ 殆ど完成されていた
⦿
次々に考案される _ 多様な新プロセスに _ 更なる工夫を凝らし
それまでの欠点をなくす努力を _ 続けていったのである
⦿
また _ パイプ立てやタバコ入れなどの【 装飾 】にも _ 写真が用いられるようになり
〓 当時の流行品として _ 盛んにもてはやされた ………

桐箱写真
1839 年ダゲレオタイプが発表され _ その後長崎にも渡来し _ その研究は日本のいくつかの藩でも行われたが _ 実際には定着を見なかった | 実用としての日本の写真は湿板写真から始まり _ 幕末から明治初めに掛けて全国各地に写真師の開業が見られた | それらの写真館では _ 露光不足気味のガラス板の写真の裏側に _ 黒のビロード状の布を貼り _ 桐箱に納めて _ 肖像写真を作った | 後に紙写真が普及するまで _ 初期の紙写真は大変高価なものだったので _ この方法が比較的長く続いた

アルバマン・プリント[ ALBUMEN PRINTS ]
卵白の成分であるアルブミンを塗布した紙に _ 感光性を与えて用いる陰画紙 | 焼き出し陰画法[ 日光写真 ]として主に用いられるが _ 普通の印画紙としても使用できる | 一般に 1900 年頃まで実用され _ 営業写真の人像印画紙として使用された

ポストカード
20 世紀前後になると以前より増して郵便の利用が盛んになり _ 写真をハガキの裏面に入れる試みが行われ _ 1920 年頃のヨーロッパでは写真ハガキが大流行した | 愛の詩を入れたものや _ 第一次世界大戦中の慰問用のものなど _ 当時の人々の息吹が感じられて興味深い | その影響で日本でも使われるようになり _ 江戸時代の浮世絵と同じように _ 人気俳優 _ 芸者 _ 評判の小町娘などの一枚の写真からブロマイド写真となり _ 連綿として今日まで続いている

名刺写真
1859 年 _ フランスのディデリが創始したカルテ・ド・ビジット | 訪問カード _ すなわち名刺写真は日本でも大変流行して _ 現在我々が使用している名刺へと _ 目約も大きさも同じままで移行していく

[ 横浜写真 ]写真帖
外国人の土産用として _ 幕末から明治 30 年代頃までに横浜だけでなく長崎でも販売されていたもので _ 日光 _ 富士 _ 鎌倉 _ 京都などの名所風景や _ 芸者 _ 人力車といった日本独特の風俗が一冊 50 枚ごとの台紙に貼られて並んでいる

……………………………… ◤ 幻燈機と映画 ◢ ………………………………
像[ イメージ ]に対する人間の【 関心 】は _ 古代の壁画や _ 絵画に始まり
[ 夢 ]で見る像 _ カメラオブスキュラによって _ 投影される像と _ 様々な形で反映されてきた
⦿
やがて _ ルネサンス期を経て _ 近代的な科学精神が発生した時期・1645 年には
ドイツのアタナシウス・キルヒャー によって _ マジック・ランターンが _ 発明される
⦿
これは[ 構造 ] 的にも[ 光学 ]的にも _ カメラ・オブスキュラと _ 正[ 反対 ]の性格を持ち
当時の人々は _ 暗い室内で映し出される【 怪しい 】魅力を _ 秘めた映像を _ 楽しんだ
⦿
多くの人々に _ 一度に同じ画像を見せられるという _ その特性は
〓 映画を始めとする _ 後の映像文化に _ 発展していくことになる ………

マジックランターン[ MAGIC LANTERN ]
子供の玩具 | ボディーはブリキ製で黒く塗ってあり _ 樽の形をしている | 針金製のハンドルは後ろに折り畳める | パラフィン油バーナーには平たい芯が付いている | 青いガラスの填った覗き穴 _ 真鍮製チューブには焦点レンズがはまっている | 1900 頃

キノラ
カードを重ねて閉じた本を親指ではじくと _ 中に描かれたアニメーションが動きだす | フィリップ・ブックと呼ばれるもので _ 幼い頃に誰でも体験したことがあろう | この原理をもう少し装置化し _ 営業用娯楽機器としてキノラと呼んで売り出した | 1900 年頃まで

ゾートロープ
1833 年にイギリスのウィルアム・ジョージ・ホーナーは _ ゾートロープを発明した | 動く絵が簡単に変えられること _ 円筒を大きくすれば _ 動画の数を増やすこともできたので _ 完成された動く絵の玩具として世界中に広まり _ 大変流行した | 1840 年頃

コダスコープ モデル L[ KODASCOPE Model L ]
シネ・プロジェクター | ニューヨーク・ロチェスター _ イーストマン・コダック社製 | 金属製の 16 ミリ映写機 | スプールの取っ手は折り畳み可能 | 110 ボルトで作動 _ 250 ボルトの本管には箱に入った抵抗器が付いている | 500 ワットのランプ _ 可変性の抵抗器付きの電解電量計 _ 直径 5.1 センチのコダック f / 1.6 螺旋型焦点レンズ付 | 1935 年頃

セプト[ Sept ]
フランスのアンドレ・デプリ社製 | 35 ミリスチルカメラとシネ・カメラの両用可能 | また _ フィルム送り機構に特徴があり _ 現在のモータードライブ・カメラの原型 | 15 フィート短尺フィルムを使う 250 コマ撮りで _ プリンターにも映写機にも使えるよう工夫してある | 1922 年

index up
機能と技術の共犯関係【FILM+SHUTTER史】
……… 収録図抜粋 ………
機能と技術の共犯関係【FILM+SHUTTER史】扉 機能と技術の共犯関係【FILM+SHUTTER史】・コロジオン湿板写真01
……… 収録文抜粋 ………
現在は _ フィルムもカメラも _ 大変進歩したものになっている
⦿
そして _ 両方が[ 密接 ]に _ 結びついている
⦿
例えば【 自動 】化ひとつを取ってみても _ 密接さが分かる
⦿
フィルムをカメラに詰め _ 蓋をすれば _ 1 枚目まで _ 自動的に送ってくれる
⦿
感度設定も _ 自動設定 ○ 撮り終えれば _ 自動的に _ 巻き戻してくれる
⦿
これは何も _ カメラ側だけの _ 自動化のせいではない
⦿
フィルムにも _ 相応の[ 自動化対応 ]部分が _ ついているからこそ出来る
 〓 フィルムとカメラは _ かくも深く _ 結び付いている
⦿
どちらかの一方に _ 不備があったならば _ 現在のような _ 発展したものにならなかった筈である
⦿
まさしく[ 感光材料と写像装置 ]は _ 【 車輪と車 】であり
その[ 共鳴 ]関係なくして _ 写真の歴史は _ 進まなかっただろう ………
…………… ◤ 写真先史 〓 光の作用から屋根へ ◢ ……………
{ ……… シュルツェ = 銀の黒変を学問的に証明 ……… }
フィルムの感光物質は[ 銀塩 ]であり _ その銀の[ 黒変 ]を利用して写真を作っている | 銀が黒変することは古い時代から認識されていたが _ 黒変が【 光の作用 】だと学問的に証明したのは 1727 年 _ ドイツのヨハン・ハインリッヒ・シュルツェである | 銀化合物黒変についての論文 …【 発光体の代わりに発見された暗黒体:または太陽光の奇妙な効果についての実験 】というものであった | 銀が硝酸と合化して硝酸銀になること _ 黒ずむのは太陽光に照射された時だけであることを突き止めた | しかし論文発表後は _ 深く研究を進めることはなかった | いつしかシュルツェの実験は大道芸人によって 1 種のマジックの【 見世物 】になってしまった
{ ……… ウェッジウッド = 硝酸銀紙で撮影を実験 ……… }
1800 年頃 _ イギリスのトーマス・ウェッジウッドが _ 硝酸銀を染み込ませた白皮革 / 紙の上に _ 葉や羊歯 < シダ > を置き _ 直射日光にさらして _ その【 影を白く残す 】ことに成功した | ただし定着はできなかった | ウェッジウッドの実験は彼の友人で _ 後に偉大な科学者になったハンフリー・デイヴィーによって論文にまとめられ _ 1802 年に英王立学会に報告された | トーマス・ウェッジウッドは _ 英国の代表的な陶磁器メーカーであるウェッジウッドの創業者 _ ジョシア・ウェッジウッドの 4 男であった
{ ……… ニエプス = 銀板+ヨウ素に着手 ……… }
フランスのジョゼフ・ニセフォール・ニエプスは _ カメラオブスキュラに塩化銀紙を入れ _ 風景を撮影した | [ 長時間露光 ]によって映像を【 記録 】できたが _ 【 定着 】できなかったこと _ 彼の意志に反して【 白黒が逆転 】しているネガ像だった為 _ 失敗したものと思い込んで _ この実験は中止した | 1816 年のことである | 1820 年 _ 今度は銅板にアスファルトを塗り _ 原画を貼って直射日光にさらした | ニスよりも効果は大 | 原画にある線など黒の部分にあたるアスファルトは硬化せず _ ラベンダー油と石油の混合液で洗うと _ このような部分は融流し _ 原画の白い部分のアスファルトは硬化して残る | この原板を硫酸などで腐食させて[ 凹 版 ]を作った | 【 グラビア印刷 】の基礎である | 有名な【 ダンボアーズ枢機卿 】は 1827 年の製作である | ニエプスは太陽が描いた絵という意味で【 ヘリオグラフィー 】と名付けた | 再びカメラオブスキュラの映像固着に挑戦し _ 各種のもので試みるが成功したのは[ アスファルト ]方式であった | この時期のアスファルト写真は 1 枚も存在しない | 写真史の書物に必ず出てくる【 屋根 】と呼ばれるようになったアスファルト写真は _ 1826 年か 1827 年に撮影されたものだ | 1827 年 _ ニエプスは[ 屋根 ]を含めた 14 枚以上のアスファルト写真を持参し渡英する | これらの写真を英王立学会で発表できるように依頼し _ 王立学会で検討した結果 _ プロセスを明確にすることを条件としたが _ 企業化する目的だったため _ これを拒んだ | 英国を去る時 _ 世話になった恩人に 1 枚をお礼として手渡した | これが[ 屋根 ]の写真である
…………… ◤ 銀板写真 〓 【 潜像 】を【 現像 】する方式を発明 ◢ ……………
実用になった最初の写真術はダゲレオタイプである | 日本では[ 銀板 ] 写真といい慣わす | [ 銅板 ]の表面を鏡面のように磨いて _ 銀メッキをかける | これにヨウ素を蒸着させると表面はヨウ化銀になって[ 感光性 ]を帯びる | この金属板をホルダーに入れ _ あらかじめセットしてあったカメラに装填 _ 撮影する | ヨウ化銀だけの場合は夏期のパリで日中でも 30 分の露光時間を必要とした | 感度は改良され _ ヨウ素の他に臭素を併せて用いるヨウ臭化銀法になると大幅に露光時間が短縮された
ダゲールの先輩であり共同研究者のニエプスが銀メッキした[ 銅板 ] _ あるいはムクの銀板にヨウ素を蒸着させるところまで考案していたが _ 画像を出せないままニエプスは世を去った | 後を継いだダゲールが苦心を重ね _ 目には見えない銀板に記録されている画像【 潜像 】を水銀蒸気をかけて【 現像 】することに成功した
この発明をフランス政府が買い上げ _ 誰にでもダゲレオタイプを使えるようにするため _ 1839 年 8 月 19 日にパリの科学アカデミーで技法が一般公開になった | また _ この日からダゲール夫人の親戚である文具商アルフォンス・ジルー商会で【 ジルー・ダゲレオタイプカメラ一式 】が販売された | 最初の市販カメラである | しかし _ 銀板写真はそんなに甘いものではない | ノウハウともいえる微妙なコツが必要であり _ ある程度の科学知識も不可欠であった | 銀板写真を数多く撮影し知識を高め _ かつノウハウを蓄積した人達だけが _ やがて銀板写真の撮影 _ 制作といったものを独占するようになる | 早くも【 職業としての写真家 】が出てくるようになった
…………… ◤ カロタイプ 〓 ネガ・ポジ法の発明 ◢ ……………
1839 年 1 月にダゲールの写真発明を報道で知った _ イギリスのウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットは _ 4 年も前の 1835 年に成功した[ 紙ネガ ]写真を王立学会に提出 _ 写真発明の優先権を主張したが受け入れられなかった | 王立学会の幹部たちは【 映像の固着 】が _ 1827 年に渡英したニエプス持参のアスファルト写真こそ最初のものだとする認識があったからに他ならない
タルボットは再び研究に取り組み _ 紙をベースにする点は同じだがプロセスを大転換 _ 感光度を大幅にアップした[ 現像感光紙 ]で撮影 _ この紙ネガ写真を感光紙と合わせて直射日光で焼き付けし _ ポジ写真を得られる【 ネガ = ポジ法 】のカロタイプを 1841 年に作り上げた | 華麗・鮮鋭な[ 銀板 ]写真に較べると _ カロタイプは紙の繊維が出て画像の[ 輪郭 ]が締まらないが _ そこはかとなくアトモスフェアがあって芸術写真向きの方式であった
事実 _ 多くの人による作品がカロタイプで作られている | また焼きだし印画紙の発生を促すとともに _ 焼き出し枠 _ 現像バット _ ピンセットなど後の時代にまで引き続いて使われるようになった【 暗室 】用品の多くを生み出した
…………… ◤ コロジオン湿板写真 〓 写真術の拡大 ◢ ……………
銀板 _ カロタイプの次に発明されたのがコロジオン[ 湿板 ]写真法である | イギリスのフレデリック・スコット・アーチャーが 1851 年に開発した技法である | よく研磨した[ ガラス板 ]にコロジオンを塗布 _ これを硝酸銀液に浸して感光性を持たせる方式 | 表面が乾くと感光度が極端に落ちるため _ 濡れているうちに撮影し現像を済ませた | 日本では湿板のことを[ 濡れ板 ]と呼んだ
銀板に比べて美麗さは落ちるが鮮鋭度はまずまずであり _ カロタイプと比較すれば数段上の良好な画質だった | 何よりも[ ガラス板 ]がベースなのではるかに低廉に写真ができた | また発明者のアーチャーが特許を取らなかったため _ またたく間に銀板写真を追放して世界中に湿板写真法が広まった
撮影直前の感光材料の自製 _ 直前の現象といった前後処理をなお必要としたが _ 銀板写真と比べれば遙かに容易になった | このため【 野外撮影 】が盛んに行われ _ アルプスの最高峰モンブラン山頂 _ ヨセミテやグランドキャニオンで写真撮影が行われるようになった
装置も変化し _ 銀板時代主流であった二重箱式スライディングボックスタイプから _ 分解・折り畳める形式にしたものや _ 蛇腹が付いて持ち運びに便利な【 携帯性 】を重視した写真機が作り出されてくる
…………… ◤ ゼラチン乾板 〓 工業化の促進 ◢ ……………
普通は単に[ 乾板 ]と呼ばれている | 湿板写真時代に作られたコロジオン乾板と区別するために _ 特に[ ゼラチン乾板 ]と称してある | イギリスのリチャード・リーチ・マドックスが 1871 年に発明した | ベースとなるガラス板の上に臭化銀ゼラチン乳剤を塗布 _ 乾燥させたもの | 乾燥していても感度の落ちない点に特色があったが _ まだ不完全だったため _ イギリスを中心に製造方法の改良が進められた | このうちチャールズ・ベネットの[ 加温熟成法 ]という _ ゼラチン乳剤を洗浄後に比較的高い温度のまま寝かせておくと性能がよくなり _ 大幅に感度が高まる方式の考案により _ 一気に乾板の【 工業化 】が促進された
これは一大革命だった | 銀板 / カロタイプ / 湿板まで _ 感光材料は撮影者が自製しなければならなかったが _ この束縛から【 開放 】された
…………… ◤ 初期のロールフィルム 〓 大衆化を実現したコダック ◢ ……………
ゼラチン乾板の出現後 _ 乾板と同じゼラチン感光乳剤を塗布し _ ロール状にする考え方が出てきた | そして _ 強靭な紙に乳剤を塗布したロールフィルムが最初に実用化された | このフィルムは現像後 _ 膜面を紙ベースから剥がしてガラス板上に移し替え _ それを原板として密着焼き付けにして写真にする | 
剥ぎ取り分離式紙ベース・ロールフィルムは 1882 年 _ イギリスのアルフレッド・パンフリーが発明したものであった | その前年の 1881 年に創立したイーストマン乾板社[ イーストマン・コダックの前身 ]は _ 1884 年からパンフリー方式の紙ベース・ロールフィルム製造を始め _ [ アメリカン・フィルム ]という名称でヨーロッパにも輸出した
また _ あらかじめ 100 枚撮りの剥ぎ取り式紙ベース・ロールフィルムを詰めた写真機を販売 | 撮影後カメラごと返してもらい _ 自社で現像・焼き付けを済まして _ 出来上がった写真と新しいフィルムを詰めたカメラをユーザーに送り返す _ という破天荒な方式を打ち出した | 1888 年 _ 大々的なキャンペーンを展開して売り出したのが[ コダック・カメラ ]であり _ 後に【 ザ ・コダック 】といわれるようになった | キャンペーンの標語は【 あなたはボタンを押すだけ … 】 | これまで専門家だけの領域であった写真が身近なものになった | 写真の知識が無くても写真が撮れる | まさに大衆にとっては福音である | 不毛の地だと思われた分野に果敢に挑戦したイーストマン乾板 & フィルム社は大成功を収めたのである
セルロイドをフィルムのベースにしてはどうかという考えは古くからあったが _ アメリカのハンニバル・グッドウィンがセルロイドベース・ロールフィルム製造に関する特許を 1887 年 5 月に出願 _ 少し遅れてイーストマン社の技師ヘンリー・ライヘンバッハも出願 _ この特許争いはその後 10 年続く | グッドウィンの優先権が認められたのは 1898 年になってからであった | リーダーペーパーの付いたフィルムが次に登場してくるが _ 現在まで継続して用いられているリーダーペーパー付き日中装填フィルムを最初に発明したのは 1892 年アメリカのサミュエル・ターナーである | ターナーの日中装填フィルム使用カメラの最初は _ ボストンカメラ製造所が 1892 年から作った[ ブルズアイ ]である | 背面にフィルム撮影番号を出す _ いわゆる[ 赤窓 ]が付いた最初のカメラであった
その後 _ コダックはボストンカメラ製造所を傘下に継承したのが[ 2 号ブルズアイ・コダック ]であり _ 小型カメラの[ ポケット・コダック ]も製造 | [ 2 号ブルズアイ ]使用のものは 101 _ [ ポケット・コダック ]用は 102 というフィルム番号が初めて設けられた | 国際標準規格の ISOで も _ また日本の JIS でもフィルム番号があるが _ 1895 年からコダック社で実施したフィルム番号と同じものである
…………… ◤ ロールフィルムの発展 〓 高感度フィルムと国産勢の追撃 ◢ ……………
{ ……… 多種多様なカメラの生産 ……… }
写真需要の底辺を開拓し裾野を広げる為 _ イーストマン・コダック社は 1900 年 _ 少年・少女向きに 1 ドルカメラの[ ブローニーカメラ ]を投入した | その頃 _ 子供たちに大人気だった妖精の[ ブローニー ]にあやかってのネーミングである | このカメラの為 _ 新規に用意したのが 6 × 6 センチ画面サイズを撮る 117 フィルムであった | そして翌 1901 年には _ 6 × 9 センチの[ 2 号ブローニー ]を作った | このフィルムは 120 である | ロールフィルム中 _ 最も需要の多かった 120 フィルムは _ この年にスタートした | ブローニーカメラは初心者用のごく簡便なボックスカメラで _ 後継機が次々と出荷されると他のメーカーも追随し _ ボックスカメラは普及カメラの代名詞になった程だ
{ ……… ベストポケット・コダックの出現 ……… }
ロールフィルムの普及に役立ったのはボックスカメラだが _ 経験豊かな写真愛好家層にロールフィルムの良さを認識させたのは[ ベストポケット・コダック ]というカメラである | 1912 年から製造を始め _ 最初は単玉レンズ付き _ 1914 年からはコダック・アナスチグマット F 8 レンズ付きを発売した | フィルムは 4 × 6 . 5 センチサイズを撮影する 127 フィルムで _ このカメラを売る為に作られたフィルムである | そのベストポケット・コダックもドイツ製の攻勢から _ 矢来式たすき金具タイプは 1926 年 _ 製造中止に追い込まれる | ベスト判カメラでもドイツ品は _ 蛇腹繰り出しの焦点調節可能な高級タイプが多かった | しかも第一次大戦後の天文学的なインフレで激しい輸入ドライブがかけられ _ 高級タイプでも外国市場では安い価格で販売された | ベストポケット・コダックは対抗上 _ 1925 年から蛇腹引き出し式の[ モデル B ]を出さざるを得なかった
{ ……… スプリング / 二眼レフカメラ ……… }
1926 年 _ ドイツ有数 4 社がカール・ツァイス財団の提唱により大合併し _ 【 ツァイス・イコン 】を創立した | この社が 1929 年 _ 世に送り出したのが 6 × 9 センチ判スプリングカメラの[ イコンタ ]である | 使用フィルムは 120  | 当時 _ ドイツのアグファなどでは[ B 2 ]と呼んでいたタイプである | ツァイス・イコンは続けて 127 フィルム使用 _ 3 × 4 センチ判の[ ベビーイコンタ ] _ 120 フィルム使用 4 . 5 × 6 センチ判の[ セミイコンタ ]を発売 | 6 × 9 判とセミ判で距離計連動にした[ スーパー ]タイプを出すと同時に _ 120 フィルム使用 6 × 6 センチ判の[ スーパーシックス ]を製造 _ 画面サイズ違いのシリーズとして発展していった | また二眼レフではドイツのフランケ & ハイデッケが _ 1929 年に 6 × 6 センチ判の[ ローライフレックス < オリジナル > ]を発売した | このローライは赤窓で撮影枚数番号を出す方式のため _ リーダーのペーパーに 6 × 6 センチ判の撮影枚数番号が印刷されていた唯一のフィルムである 117 を使用した | 117 フィルムは 120 に比べて細軸で _ それだけカーリングが強く _ 120 仕様に切り替えたのは 1932 年発売の[ ローライフレックス・スタンダード ]からである | 6 × 6 判二眼フレックスの使用フィルムが 120 に限られるようになったのはこれ以降である
{ ……… フィルムの歩み ……… }
イーストマン・コダック社が巻きぐせを少なくした[ ノン・カーリング ]のフィルムを出したのは 1905 年 | フィルムにデータを入れようとして発売したのが[ オートグラフィック ]で _ 1914 年からフィルムとリーダーペーパーの間にカーボン紙を入れ _ 裏蓋側にある小窓を開け鉄筆で記入した | このフィルムは A が頭について _ 例えば A 120 というように普通タイプの 120 フィルムと区別した | カメラにも[ オートグラフィック ]の名前が必ず入っていた | 整色フィルムはイーストマン・コダックが 1931 年に[ コダック・ベリクローム ]を _ またアグファも続いて[ イゾクローム整色性 ]を日本で発売した | 全整色とも呼ばれたパンクロマチックフィルムは 1935 年にイーストマン・コダックが[ コダック・パンアトミック ] _ アグファは[ イゾパン F ][ イゾパン ISS ]を _ また日本メーカーは小西六が 1935 年に[ さくらパン F ]を _ 富士写真フィルムは 1936 年に[ ネオパン F ]をそれぞれ発売した | 国産メーカーがフィルム製造に進出したのはそれより早く _ 1927 年に旭日写真工業が[ 菊フィルム ] _ 六桜社 < 小西六の製造部門名称 > は 1929 年に[ さくらフィルム ] _ 富士写真フィルムは 1935 年に[ フジクローム ][ フジ・ネオクローム ]をそれぞれ発売に漕ぎつけている | フィルムの不燃化も 1935 年を過ぎたあたりから研究が進み _ 石油化学の驚異的な発達により得られた新合成樹脂を用いる方式で _ 性能を高めている | 黒白フィルムの発展も目覚ましいものがあった | 特に 1954 年にイーストマン・コダックが ASA 200 の[ トライ X ]を発売すると _ 富士写真フィルムは[ ネオパン SSS ] _ 小西六写真工業は[ コニパン SSS ]を 1956 年に発売 _ コダックを激しく追撃した | 高感度フィルムの出現はレンズの大口径競争と相まってノンフラッシュという撮影領域を広げ _ またシャッターの高速化推進という進歩をもたらした
…………… ◤ 35 ミリフィルムの進歩 〓 熾烈な技術競争 ◢ ……………
映画用に開発された 35 ミリフィルムをスチルカメラに転用する考えは早くからあったようだが _ 記録に残されている最初の考案はスペインで 1908 年に行われた | しかしイギリス特許を取得しただけで製品化されなかった | 1912 年 _ アメリカのジョージ・スミスが 24× 36 ミリフォーマットの 35 ミリカメラを作り _ 以降 _ 各種の考案や製品化が相次いだ
アメリカで 1913 年に発売された[ ツーリスト・マルチプル ]は _ 18 × 24 ミリサイズ 750 枚撮りで _ 専用マガジンに 35 ミリ映画フィルムを詰め替えて使った | ツーリスト・マルチプルに代表されるように _ プレライカのカメラは大容量撮影枚数カメラが目立つ | カメラ名も多量を示した[ マルチ ] _ そのものずばりで撮影枚数を表示した[ ル・サン・ビュー ]のようなものがある | また簡単に撮影できることを強調した[ シンプレックス ]というカメラもあった | 1925 年の[ ライカ I( A )]が初の 35 ミリ精密小型カメラになった | 当時 _ 世界最大のカメラメーカーであったツァイス・イコンが 1932 年に[ コンタックス I ]で後を追い _ 両雄が凌ぎを削るような技術競争を展開 | 日本でもキャノンの前身である _ 精機光学研究所が 1935 年に[ ハンザ・キャノン ]を製造した | レンズは日本光学工業が供給した[ ニッコール 50 ミリ F 3 . 5 ]を装着している | 日本最初の 35 ミリカメラでフォーカルプレーンシャッター付であった
1954 年[ ライカ M3 ]の発表・発売というビックニュースは 35 ミリカメラ全体の関心を高めさせた | また感材メーカーも新製品を投入し _ 35 ミリカメラ普及への環境が着実に整備されはじめた | 1957 年 _ 旭光学工業が発売した[ アサヒペンタックス AP ]が市場の人気を獲得すると _ この成功により他社は強い影響を受け _ 次々に 35 ミリ一眼レフカメラ市場に参入し _ 技術開発競争を生み出す | まず _ それまでのセレンセルをやめて CdS セルを採用しての TTL  | 上下走行金属羽根ユニット式フォーカルプレーンシャッター | 自動露光などである
35 ミリレンズシャッターカメラでは _ エレクトリック・アイ < EE > 方式の自動露光が[ キャノネット ]から本格化し _ また[ オリンパス・ペン ]をきっかけとしたハーフ判が流行した後 _ 35 ミリコンパクトカメラ時代に入った | ここでの革新は【 エレクトロニック・フラッシュ 】< ストロボ > をボディーに内蔵した事と _ 【 オートフォーカス 】の導入であった | 前者は 1974 年の[ コニカ C35 EF ] _ 後者は 1977 年の[ コニカ C35 AF ]が端緒になった | 35 ミリ一眼レフカメラでのオートフォーカスは大幅に遅れ _ 専用レンズでの AF を経て _ 本格的なものは 1984 年の[ ミノルタ α - 7000 ]まで待つことになる
特に 35 ミリカメラの自動化の進行に伴い 135 フィルムも対応した | 1983 年にイーストマン・コダックが発表した[ DX <ダイレクト・インデキシング > ]コード方式である | 135 フィルムの外筒部にバーコードを設け _ カメラ側のフィルム室に設けた電気接点により _ フィルムの感度/撮影枚数などを読みとって _ カメラ側が自動的にセットしてしまう方式である | フィルム感度の設定も自動化になっているため自動露出 _ ダイレクト測光 _ エレクトロニック・フラッシュの自動調光など _ フィルムと関連する【 自動化 】が随所に行われていた
…………… ◤ シャッターの変遷 〓 高性能・高速化の始動 ◢ ……………
レンズキャップ開閉から始まった露光調節は _ ドロップシャッターをレンズに冠せて用いるようになった | 様々なシャッターがカメラの外側に付き _ 次いでカメラの中に完全に入り込んだ | 多段階変速も出来るようになったが _ 乾板などの感光度が上昇したものが出現したため _ 正確な秒時が出るものが求められた | アメリカで 1910 年 _ 機械式の遅延装置が開発され _ これを取り入れたドイツのデッケルで大成したのが[ コンパー ]である | 日本のシャッターはコンパーか _ ドイツの[ プロンター ]に強く影響を受け _ さらに進歩したシャッターを作った
布幕シャッターは単体のローラーブラインド式が _ 特にイギリスで作られた | フォーカルプレーンもイギリスで先に着手されたが _ スリット式調節式はドイツとフランスで開発された | 第二次大戦前はドイツで改良が進められたが _ 戦後になると _ 日本でも布幕に代えて金属薄幕を用いたものや _ 布幕左右走行でも 1 / 200 秒を出すシャッターが作られた | 特に 1962 年からカメラに組み込まれるようになった _ メタルブレードのユニット式はその後 _ 大きく発展した | 各社技術陣の努力により【 超高速 】の 1 / 4000 秒 _ 1 / 8000 秒 _ そして 1 / 12000 秒が実現している
………………… ◤ レンズの大口径化 〓 F 0 . 95 の実現 ◢ …………………
大正時代の最も有名な大口径レンズに _ [ エルノスター ]F 2 と F 1 . 8 レンズがある | 1923 年にルドヴィッヒ・ベルテレにより設計されたのが F 2 エルノスターで _ すぐに改良され 1925 年には F 1 . 8 にした | このレンズはドイツの写真家エーリッヒ・ザロモンが愛用し _ 室内光だけのスナップで傑作を撮り _ [ キャンディッド・フォトの元祖 ]といわれるようになった | 
この時代は第一次大口径レンズ競争時代で _ イギリスの[ オピック F 2 ]が 1920 年 _ J . H . ダルメヤーの[ ペンタック F 2 ]は 1922 年から | 映画用ではあるがドイツのフーゴー・メイヤーから[ キノプラズマート F 2 ]が 1922 年に _ F 1 . 5 にしたものは 1926 年に作られている | 設計者は _ かの有名な[ テッサー ]などを設計したパウル・ルドルフである
昭和に入ると _ ドイツのプラウベルが[ アンチコマー F 2 . 7 ]を作り _ 1931 年の 3 × 4 センチ判カメラであるマキネッテに装備した | ツァイス・イコンは 1935 年のスーパーシックスに[ テッサー F 2 . 8 ]を装着した | 6 × 6 判スプリングカメラでは _ 最初の大口径レンズ付きになった | コンタックスの標準レンズは[ ゾナー F 2 ][ ゾナー F 1 . 5 ]という名だたる大口径レンズが揃えられていたためテッサー F 2 . 8 は影が薄かった | ライカの標準レンズとしては 1934 年 _ [ ズマール F 2 ]があったが _ 1930 年に発売した[ ヘクトール F 1 . 9 ]の方が名声は高かった
第二次世界大戦後になって _ 希元素入り新種光学ガラスの開発 _ 【 コンピュータ 】の導入などにより _ 大口径レンズが盛んに作られる | 代表格として _ ライツの[ ズミクロン F 2 ][ ズマリット F 1 . 5 ] _ カール・ツァイスの[ プラナー F 1 . 4 ] _ 日本光学の[ ニッコール F 1 . 4 ] _ キャノンカメラの[ セレナー F 1 . 8 ][ キャノン F 1 . 5 ]など | 評判倒れではあったが _ 1954 年に発表された帝国光学の[ ズノー F 1 . 1 ]もあった | 35 ミリ距離形連動カメラではキャノンが 1961 年に発売したキャノン 7 の標準レンズ[ キャノン F 0 . 95 ]が最高の明るさだった | 35 ミリ一眼レフ時代に入ると _ 標準大口径レンズは F 1 . 4 クラスに落ち着いてくる | もっとも 1973 年 _ 一眼レフカメラに新規参入したオリンパス光学のオリンパス OM - 1 の標準レンズとして用意された[ G ズイコー・オート SF 1 . 2 ]という大口径レンズもあった
…………… ◤ インスタント写真 〓 現像処理機構内蔵・1 分間写真の登場 ◢ ……………
インスタント方式は第二次大戦後の 1947 年 _ アメリカのエドウィン・H・ランドが米国光学学会で【 1 分間写真 】を発表した時から始まる | しかしカメラの中で現像を済ましてしまう[ 現像処理機構内蔵 ]カメラとなると _ 遙か昔の湿板写真時代に存在していた | フランスのジュール・ブルダンが考案した[ デュブロニカメラ ]が特に有名である | デュブロニの最初の製品[ ル・フォトグラフ・ド・ポシュ ]は 1860 年に発売されている | レンズと湿板ホルダーの間の空間部分をガラス瓶や陶器など _ 薬品に侵されないもので作り _ この部分に薬品を注ぎ _ 水を注入・排出して _ 現像・水洗処理を行った | 暗室へわざわざ持っていく必要がない _ というだけで現像時間が短縮されたわけではない
乾板やフィルム時代にもブリキ板を用いるフェロタイプや _ 反転印画紙を用いる[ ストリートカメラ ]と呼ばれた現像処理機構内蔵カメラがあった | [ 街頭写真師 ]が用いたプロ用機材である | これをアマチュア用に転化したものが 1930 年 _ アメリカで出現した操作はやや複雑だが _ 5 分間で現像処理ができた[ フォトシー ] | [ プレ・インスタント・システム ]のカメラだといってよい
エドウィン・ランドの 1 分間写真の発明は _ ポラロイドで製品化された | 1948 年に発売された[ ポラロイド・ランド 95 ]である | [ ピクチュア・ロール ]と呼ばれた撮影印画紙の色調はセピア色であった | 黒白の色調になったのは 1950 年からである | ポラロイドは順調に事業を拡大していったが _ それにヤシカも一役買った | 同社の依頼で 1960 年に[ ポラロイド・ランド 120 ]を製造し _ このカメラは国内市場でも販売され _ インスタント写真を日本にも根付かせた
ポラロイドは無駄なものが多いピールアウト式を止め _ 1 枚シート式のフィルムに切り替えた[ ポラロイド SX - 70 ]を 1972 年に発売 | イーストマン・コダックがインスタント写真に参入したのは _ 1976 年からである | 1 枚シート式のフィルムパック使用だが _ ポラロイドと違ってフィルム背面から露出を与える方式を考案した | この方式に対しポラロイドからクレームが付き _ コダック側の敗訴となった同社は 1986 年 _ インスタントから撤退してしまった | 富士写真フィルムが参入したのは 1981 年からである | 突き出たレンズ前板までの部分がボックス式になっている[ フジ・インスタント・カメラ F - 10 ] _ 続けて蛇腹折り畳み式の[ フジ・インスタント・カメラ F - 50S ]を出した | 1 枚シート式のフィルムパックで同社では _ これを[ フジ・フォトラマ ]を称した | 1987 年発売の[ フォトラマ FP - 1プロフェッショナル ]のように大方のインスタントカメラには[ フォトラマ ]を付けている
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形態と機能の所産【技術と機能の発明】
……… 収録図抜粋 ………
多様性のある側面【写真機械・類型】扉 射撃鑑査・空撮用・宇宙使用・気象観測用写真・扉
       
  連続撮影用・三色分解写真機01   no image  
……… 収録文抜粋 ………
ダゲレオタイプ・カメラが登場した 1839 年前後からおよそ一世紀の間
光学装置の【 形態 】には 一貫した理念があった
⦿
写真機の【 機能 】をデザインすることは不可能だが
その意を内的な関わりで翻訳し _ 純然たる機能と【 素材 】
そして製造技術を集結させる力学が _ 自然発生的に満ち溢れていた時代である
⦿
世界の有様を記録する未来の類型が _ またそれに挑戦するかの如く斬新な撮影機が考案され
〓 [ 機能 ]と[ 形態 ]は不離一体のエンジンとして _ その原点で連鎖していた
⦿
【 用即美 】 〓 まさにそこから装置は進化していった
⦿
その堆積は _ 山頂にライカという金字塔を築いた
⦿

{ 機能が形態を決定し _ 形態は機能を表現する }
というルイス・サリバンの名言が _ 装置の存在初源を想起させる ………

ジルー・ダゲレオ・タイプ … 1839 | FRANCE | ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール
世界最古の市販カメラ | すべてのカメラのなかで _ [ カメラオブスキュラ ]の面影を最も強く残しているカメラデザイン | カメラの歴史に想いを馳せると _ まず脳裏に浮かぶのは _ このカメラの他にはない _ 唯一の[ モニュメンタル ]デザインである

シュタインハイル・グロッシェン … 1839 | GERMANY | カール・アウグスト・シュタインハイル
世界最初の[ 精密超小型 ]カメラ | ジルー・ダゲレオタイプ・カメラのわずか 4 カ月後 _ その巨大な木箱カメラに挑戦するかのようにシュタインハイルが発表したもの | 技の競い合いが生きがいの[ 発明家魂 ]を見る思いがする

フォクトレンダー・ダゲレオタイプ … 1841 | AUSTRIA | ペーター・フリードリッヒ・フォクトレンダー
光学機械業者らしい発想の[ 望遠鏡型 ]の全金属製ダゲレオタイプ・カメラ | レンズを通った光線の末広がりのイメージサークルを素直に表現したボディーラインは _ 合目的性で精度感にあふれ _ 優れたデザインとなった

シュバリエ・ダゲレオタイプ・カメラ … 1841 | FRANCE | チャールス・シュバリエ
クオータープレートを使用するこのカメラは手札判で _ マホガニー製の小型手提げタイプである | [ カメラの貴婦人 ]とも呼べるような _ 簡素で格調高いフランスのデザインが感じられる | 洒落感覚は質の問題で _ うわべだけでは身につかない _ この国特有の感性なのだろう

ダンサー・ビノキュラー・ステレオカメラ … 1856 | ENGLAND | ジョン・ベンジャミン・ダンサー
最初のマガジン式ステレオカメラで _ 87 × 175 ミリのドライ・コロジオンプレートを 1 ダース装塡する | 真鍮磨き仕上げの _ 穴のある[ 円盤 ]が 2 個も並んだ外観は _ それだけでも[ 異様 ]とも[ 威容 ]とも感じるアピアランスデザインで _ 他に例を見ない[ ユニーク ]なカメラである

サットン・パノラミック・カメラ … 1859 | ENGLAND | トーマス・サットン
水入り広角レンズと湾曲湿板の併用で _ 広角 120 度のイメージサークルを得たカメラ | だれも試みなかったことに挑戦する発明者魂は _ まだすべてが[ 未開発 ]で[ 不自由 ]であった時代に燃え上がる例が多く _ 万端の準備を整えてから _ いざ発想という現在とは真逆のアプローチに敬服する

アンジャベール・フォトレボルバー … 1882 | FRANCE | アンジャベール
本物志向のディテクティブ・カメラで _ 撮影手順も本物の操作に似せている | 弾倉に 20 × 20 ミリのシース入り乾板 10 枚を詰め _ 弾倉の 180 度回転で撮影済みの乾板を下段に送り _ なお半回転させるとロータリー・シャッターのセットと _ 新しい乾板の撮影位置送りが連動する | [ 擬装拳銃カメラ ]のなかで _ 最も[ 本物らしい ]だろう

マリオン・ミニアチュール・カメラ … 1884 | ENGLAND | マリオン社
初期の全金属製ミニチュア・カメラ | レンズの前に丸穴の開いた遮光板があり _ 引き上げると _ 穴はパイプファインダーの前で止まる | ファインダーをのぞきながらフックをはずすと _ 遮光板が落下し _ 丸穴の通過で露光する | 終わればレンズは遮光されている | いつの時代にあっても _ 最も[ シンプル ]なものには魅力があ

アンシュッツ・カメラ … 1888 | GERMANY | オットー・アンシュッツ
動物写真のパイオニアでもあったアンシュッツは _ その撮影のために 1880 年代の初めから高速シャッターの研究を開始していた | 1888 年に発表されたオリジナルは世界最初のフォーカルプレーンシャッター機で _ 前部4面をテーパーで削ったそのデザインは _ 航空カメラの[ 機動性 ]と[ 精悍さ ]をもっている

フォトスフェール・ステレオカメラ … 1892 | FRANCE | ナポレオン・コンティ
このカメラの[ 特異な形態 ]は _ 半球状鉢型のスリットシャッターを包むボディーの外観が _ 乳房のように見えることによるもので _ 奇想デザインのひとつの類型 | スペック本位の進歩の道とは _ ひと味違う魅力を放つカメラの道がある

カウファーのディテクティブ・カメラ … 不詳 | FRANCE | カウファー
同年 _ 木箱に革張りの[ 化粧セットかばん型 ]のディテクティブ・カメラも考案している | [ ハンドバック型 ]と同工異曲のものであるから _ ほかにも多くのバリエーションが想像される | 時は古き良き世紀末の時代 _ 所は花のパリ | しかも婦人用品の擬装カメラであるから _ カフェテラスでの秘密撮影の話のほうが _ このカメラにはよく似合う

ポケット・サイコ・カメラ … 1903 | ENGLAND | ニール
厚い表紙の本を 60 度に開き _ 逆さに卓上へ置くと山型の屋根ができる | 本の背にあたるところがレンズ _ 床にあたるところが乾板面と考え _ その間を蛇腹で密閉にすれば _ [ 三角形 ]のカメラがデザインされる | 意味のない遊び心を実行に移したカメラで _ 折りたたむと厚さがわずか 2 センチの薄型になるという

アダムス・マイネック・デラックス … 1909 | ENGLAND | アダムス社
19 世紀の終わりごろ _ 数種の簡易型一眼レフを作っていたイギリスが _ 1900 年に入ると爆発的に高級大型一眼レフの発売を始めた | その原因は[ 精度感 ]と[ 高速度 ]を持つフォーカルプレーンシャッターの採用によって _ 様変わりに高級化した大型一眼レフに _ 人気が集中したためである | その是非は別として _ この時代のアダムスやソホの[ 素材 ]や[ 加工技術 ]に見られる[ 美術工芸 ]的な美しさは _ 長くカメラ史上で語り継がれていく今世紀初頭の華であって欲しい

ステレオ・リリプト・カメラ … 1919 | GERMANY | エルネマン社
折りたたむと _ 厚さ 20 ミリの世界でもっとも[ 素朴 ]なステレオカメラ | 機内に指を入れて _ 内部両側の突っ張り板を起こす | 蛇腹の外部には腕金具もない | 大メーカーが _ 確たる意図のもとで発売した[ 最低スペック ]のカメラには _ 原点を問いかける迫力が秘められている

ベストポケット・コダック・カメラ … 1912 | AMERICA | イーストマン・コダック社
ベスト判カメラの元祖 _ 1902 年の 0 号フォールディング・ポケット・コダックを原型とした _ 全金属製のポケットカメラ | 世界のトップを切ったアメリカの[ 大量生産 ]方式は _ 当時安くて良い製品を産み出した | 自動車はフォードの T 型 _ カメラはコダックのベストポケットと | また _ このカメラによる[ 軟調描写 ]技法の開発は _ 日本人の感性が生んだ世界に類を見ないものである

エンサイン・フォールディング・カメラ … 1914 | ENGLAND | ホートン社
撮影態勢時の特異な姿は _ 並行するコの字型のサイドパネルに挟まれた袋蛇腹と _ レンズ部を 90 度前方に倒したときの形から感じられるものである | 格納はその逆にすれば _ レンズは上を向いてサイドパネルの中にきちんと納まる | [ 突起物 ]のない薄い縦型の箱になり _ 機体各部の[ 柔 ]と[ 剛 ]の構造が _ [ 90度の運動 ]にマッチした明快なデザインを体現している

エルマノックス・カメラ … 1924 | GERMANY | エルマネン社
第二次世界大戦が終わっても激しく変動する世情は _ 必然的に[ 機動 ]性と[ 連写 ]性を求める機運を生んだ | カメラ自身も木製から金属性へ _ [ 町工場 ]から[ 量産工場 ]への転換期に移り _ [ 明るいレンズ ]の開発も始まっていた | エルマノックスは小さいボディーから[ はみ出す ]大口径レンズで _ 時代の流れの先駆を切った
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多様性のある側面【写真機械・類型】
……… 収録図抜粋 ………
多様性のある側面【写真機械・類型】扉 射撃鑑査・空撮用・宇宙使用・気象観測用写真・扉
       
  連続撮影用・三色分解写真機01   no image  
……… 収録文抜粋 ………
| ……… 特殊用途カメラ ………|
普通の写真撮影ではなく _ 【 ある目的 】のものを撮影するために考えだされたのが
目的別カメラで _ 以前は【 特殊 】用途カメラとも呼ばれていた
⦿
従って一般には知らされていない性格を持つ _ 例えば軍用カメラのように
〓 その【 存在すら秘匿 】しなければならないものさえあった
⦿
そのようなカメラでも _ 現在では一般的なカメラが[ 転用 ]されていて
その境界が[ 不明瞭 ]になってきた
⦿
また当初は専門家が使うカメラとして開発されても
現在は一般ユーザが使えるものに変化してきたものもある
⦿
こういった様々な特殊用途カメラを _ 【 宇宙 】【 空中 】【 地上 】【 水中 】に大別し
これまでの遍歴の確認作業に入ってみることにした ………
| ……… 異形カメラ ……… |
カメラとは【 思えない 】カタチをした【 異形 】カメラ
あるいは他の物品に似せて作った【 擬装 】カメラは古い時代から作られたが
写真を撮るために科学知識を必要とした銀板写真時代には現れず
次に発明された湿板写真時代の後期になって初めて出現してきた
⦿
イギリスのトンプソンが考案 _ フランスのブリオアが 1862 年に製造した
[ 拳銃 ]型の[ フォトレボルバー ]が起源と目される
⦿
次がフランスのオクターブ・ニクルの考案 _ フランスのジェイム & アルカーが 1866 年に製造した
[ 双眼鏡 ]型の[ ジュメユ・ド・ニクル ]であった
⦿
ゼラチン乾板が工業生産になった 1880 年以降ともなると
異形カメラは _ にわかに多くなる _ 形態も様々であった
⦿
〓 [ ライフル銃 ]型 _ [ 荷物 ]型 _ [ ブック ]型 _ [ 鞄 ]型 _ 各種[ ケース ]型
[ ベスト隠し ]型 _ [ 懐中時計 ]型 _ [ ネクタイ ]型 _ [ 帽子 ]型
などが人知れず存在していた ………
…………… ◤ 航空写真機 ◢ ……………
第一次世界大戦で飛行機が軍用として活躍し始めると _ [ 飛行機に搭載 ]できる専用のカメラが必要になってきた | 当時は蛇腹引き出し式のハンドカメラが主流だが _ 吹きさらしの飛行機の搭乗席では蛇腹が強い風に吹きつぶされて使いものにならなかった | アメリカのイーストマン・コダック社フォーマー & シュウィング・ディビジョンが 1917 年頃に開発した[ F & S 航空カメラ B 型 ]は一眼レフカメラのグラフレックスを母体とし _ レフレックス機構を外し頑丈な長い風防をつけて航空カメラに仕立てた | またイギリスのウィリアムソン製作所は【 カメラにプロペラ 】を付け _ この回転ギアに伝えて長尺フィルムの自動巻き上げとシャッターチャージを行う _ 現在のモータードライブの考え方と同じものを _ 早くも 1917 年頃には実現させていた 
❖ … ウィリアムソン航空カメラ | ❖ … F . & S . 航空カメラ B 型 | ❖ … 九九式極小航空写真機
❖ … 百武小型航空写真機[ SK - 100 ] | ❖ … フェアチャイルド航空カメラ KA - 60 B
❖ … ペックハム = レイ航空カメラ | ❖ … 富士航空カメラ
…………… ◤ 射撃鑑査・空撮用・宇宙使用・気象観測用写真機 ◢ ……………
{ 射撃鑑査カメラ }
空中戦などの射撃訓練カメラ | 搭載機銃と扱い方などは同じ | 模擬空中戦後 _ フィルムを現像し画面中心に目的物が写っていれば的中したことを示した | この状態を鑑査 _ 射撃向上に役立てた | 第一次大戦中に開発されて以降 _ 世界列強で改良製品が作られた
{ 空撮用カメラ }
まだ飛行機が発明されていない時代 _ 地上を空撮するために考え出されたのが【 鳩カメラ 】=[ ドッペル・スポルト ]はその代表的な製品で小型のパノラマカメラであった
{ 宇宙使用カメラ }
宇宙船に搭載された最初のカメラはミノルタハイマチックで _ 以後は各社の特別仕様のカメラが活躍した | 任務を終えて帰還できたもの _ あるいは予備品は NASA で管理されているという
{ 気象観測用カメラ }
雲量観測用として 1923 年頃 _ イギリスのロビン・ヒルが考案した魚眼レンズ付きカメラが最初 | 魚眼レンズを天空に向けて設置 _ 円形画面に全天を撮影 _ 雲量を観測した
❖ … ソルントン射撃鑑査カメラ _ マーク III H | ❖ … 八九式活動写真銃改二
❖ … ドッペル・スポルト | ❖ … ミノルタ α - 8700 i[ ミール搭載記念 ] | ❖ … ヒル全天カメラ
❖ … ヒル全天カメラ改 | ❖ … ニコン全天カメラ
…………… ◤ 軍用・警察用写真機 ◢ ……………
{ 軍用カメラ }
各国の軍が特別の用途のため開発した製品と _ 一部は手直しをするかもしれないが _ 一般市販の製品を転用する凡用カメラとがあった | 旧陸軍が旧満ソ国境の偵察用として超望遠レンズ付き大型カメラを小西六に作らせたことがあったが _ 外部に知られるようになるのは後年になってからである | 凡用カメラではドイツ旧空軍のルフトヴァッヘン・ライカなどが名高い | 我が国の製品で旧軍用にキャノン _ あるいは小西六製品が使われていて _ 軍用を示す[ 何らかの表示 ]がなされていた
{ 警察用カメラ }
警察用カメラもまた特殊な用途向きに開発されたものと一般市販品の転用とがある | 日本で作られたマミヤ・ピストルカメラはカメラに慣れない警官でも扱いやすく _[ 片手操作 ]ができ _【 万一の場合は防御に 】役立つために開発されたカメラである | また最近のものでは交通事故の原因究明に役立てるペンタックス・ステレオカメラがある
❖ … 軍用リリー | ❖ … グラフレックス・コンバット | ❖ … エキスポ・ポリス
❖ … カードン[ 軍用 ] | ❖ … コーナン 16 オートマット[ ポリス ]
❖ … マミヤ・ピストルカメラ | ❖ … シグナルコープス・コンバットカメラ
…………… ◤ 指紋・監視・顕微鏡・測定用写真機 ◢ ……………
{ 指紋カメラ }
検出すべき箇所に直接 _ カメラをあて直立させた状態で撮る | 内部の豆電球照射式 | アメリカで古い時代に開発され _ 改良型が作られはしたが非常に長い間 _ 基本的には同じものを使い続けた
{ 監視カメラ }
防犯カメラともいう | カメラをむき出しにはせず _ 何らかの保護カバーをつけて[ 目立たない形状 ]にしている | 長尺映画フィルム使用 _ 画質は優秀だが手間や経費がかかるためビデオ使用に置き変えられた
{ 顕微鏡カメラ }
湿板写真時代から顕微鏡写真は撮影されていた | 使用カメラは一般用のものが多く使われたが _ 撮影装置は大袈裟なものを必要とした | 顕微鏡そのものも進歩し _ 撮影装置もアタッチメントと小型化すると _ ほとんど 35 ミリカメラで間に合うようになった
{ 測定用カメラ }
測定物の長さ _ あるいは測定物までの距離などカメラ側が計測 | データを写し込む特殊用途カメラ
❖ … ファクトグラフ | ❖ … グラフレックス指紋カメラ | ❖ … デイヴォン・マイクロテレスコープ
❖ … エレクトロ・サーベイランス・システム K - 1 | ❖ … ミラックス・ラボレック II
❖ … ベック顕微鏡カメラ | ❖ … ミノルタ・メジャリングカメラ MC 100
…………… ◤ 内視鏡・X 線用・複写用・広角専用写真機 ◢ ……………
{ 内視鏡カメラ }
実験的なものは古くからあるが _ 本格的な胃カメラとして日本で開発された[ オリンパス・ガストロカメラ ]が最初の製品 | 後にファイバースコープと組み合わされて発展 _ 現在では胃カメラばかりでなく各種用途の様々な内視鏡カメラが作られている
{ X 線用カメラ }
日本では 1935 年頃から X 線用カメラの国産化の必要が叫ばれ _ 各社で生産を始めた | 第二次大戦後も各種のものが製造されている
{ 分光撮影用カメラ }
イギリスの[ ヒルガー分光写真機 ]はごく少ない分光撮影専用カメラであった
{ 複写用カメラ }
タイプ的には _ 業務用とアマチュアでも使えるような複写カメラがある
{ 広角専用カメラ }
建築写真などの曲がりや _ 歪みのない広角レンズ装着カメラ
❖ … オリンパス・ガストロカメラ GT - Va | ❖ … オリンパス内視鏡カメラ SC 16 - 10
❖ … ルビコン X 線カメラ | ❖ … ヒルガー分光写真機 | ❖ … 六桜社製版用組立案函
❖ … フェデラル複写カメラ | ❖ … コダック広角専用カメラ
…………… ◤ 連続撮影用・三色分解写真機 ◢ ……………
{ 連続撮影用カメラ }
大仕掛けの分解写真撮影装置は別として _ ハンディーな分解写真を撮る報道用カメラで _ 日本で有名だったものにアイモ改造型があった | [ 大相撲の分解 ]写真を撮っていた | それより古い製品にはフランスのセプトがある | 短尺映画撮影機にもなるカメラであった | 35 ミリ一眼レフカメラで高速連続撮影用としては_ キャノン高速モータードライブとニコン F2 H - MDがあった | いずれも報道関係用カメラである
{ 三色分解カメラ }
現在のカラーフィルムやプリント方式が開発される以前 _ カラープリントやカラー印刷の原板作成に用いられていたのが _ 三色分解カメラであった | 使用感光材料は黒白用乾板 | カメラ内部に 2 枚のハーフミラーを立て _ 入ってきた光を 3 等分して 3 個の焦点面に導く | 焦点面にはそれぞれ RGB フィルタが置かれ _ 黒白乾板にはそれぞれの原色 _ すなわちブルーフィルタの場合は黄色に相当する原板が得られた | 3 枚の原板 _ あるいはこの原板からプリントを重ねることでカラー写真を作った
❖ … キャノン高速モータードライブカメラ | ❖ … グラフチェック・シーケンス
❖ … キング・チェックポラフィー 8 D | ❖ … メラノクロモスコープ  | ❖ … ミクート三色分解カメラ
❖ … クロモグラフ・トリクローム | ❖ … ベルンポール三色分解カメラ
…………… ◤ 水中写真機 ◢ ……………
最先端を行くニコノス RS AF は水深 100 メートルまでの[ 耐水圧構造 ]を持つ本格的な水中カメラ _ 初期のニコノスは陸上でも使えるので全天候型と呼ばれているが _ この方式はフランスのフォトテクニーク社が開発した[ カリプソ ]の方式で _ 後に日本光学工業( 現ニコン )が技術を導入した | 本格的なものは _ 水中写真家や調査などの専門ダイバー用の製品である | 一方にはレジャー用の水中[ 全天候 ]カメラがある | 耐水圧構造は 4 〜 5 メートルぐらいが普通であるが _ 中には 45 メートルまで潜水可能という _ プロ用顔負けのレジャー用全天候カメラもある
❖ … シルロ水中カメラ | ❖ … カリプソ | ❖ … ニコノス | ❖ … ニコノス RS AF
❖ … コニカ・サブマリーン | ❖ … ミノルタ・ウェザーマチック 35 DL
❖ … シー・アンド・シー・モーターマリン 3
…………… ◤ ネクタイ型・ステッキ型・ライター型・マッチ型・タバコ型写真機 ◢ ……………
{ ネクタイ型 }
幅広のアスコットタイの中にカメラが隠されている | [ フォトクラバート ]はその代表的な製品 | ノーファインダーで撮影した
{ ステッキ型 }
ステッキの中にカメラを仕込む | ロールフィルム使用の[ ベンアキバ ]が有名である
{ 指輪型 }
エルネマン社の旧社章に似た模様があるため[ エルネマンリング ]と呼ばれていた
{ ライター型 }
[ フォトグラフィック・ライター ]は第二次世界大戦前のスパイカメラだと思われている製品 | エコなどが有名
{ マッチ型 }
第二次世界大戦中 _ レジスタンスなどに配ったスパイカメラのひとつ
{ タバコ型 }
旧ソ連の秘密警察であった KGB が製造したスパイ用カメラだといわれている製品
❖ … フォトクラバート | ❖ … ベンアキバ | ❖ … エルネマン指輪カメラ
❖ … フォトグラフィック・ライター | ❖ … ペタル・ライターカメラ | ❖ … タバコ型カメラ
❖ … コダック・マッチボックスカメラ
…………… ◤ ペン型・ピストル型写真機 ◢ ……………
{ ペン型 }
シャープペンシルに似せて作ってある | フランスの[ スチロフォト ]はペンシル芯は出せないタイプ | ミノックス以前の超小型カメラ _ ミニフェックスを設計したF.カフタンスキーが考案したといわれているもので _ プッシュプル方式のフィルム送りをするスマートな形式のカメラである | 日本で作られた[ セプトペン ]は太い胴体の中に超小型カメラを組み入れたシンプルな構造 _ 従ってペンシルの芯が出て[ 筆記 ]もできる
{ ピストル型 }
拳銃形態のカメラは _ 湿板写真時代に早くも作られたほど古くからある | ただし昔の製品は引き金レリーズになる以外は _ さほど拳銃に似ていないものもあった | [ アンジャルベール・フォトレボルバー ]は _ このタイプの最初期製品で明治中期製 | 小さな角型乾板 10 枚を詰め込んでおくタイプ | 一番最後の製品である[ ドリュー 2 - 16 ]は 16 ミリフィルム使用の[ レンズ交換式 ]である | ピストル型の他に[ ライフル ]型 _[ 大砲 ]型をしたカメラも昔はあった
❖ … スチロフォト・デラックス | ❖ … セプトン・ペンレット | ❖ … セプトンペン
❖ … アンジャルベール・フォトレボルバー | ❖ … ジェミー・ピストルカメラ
❖ … ドリュー 2 - 16 | ❖ … エラック・ピストレット
…………… ◤ 懐中時計型写真機 ◢ ……………
そのままの形態で撮影できるタイプと _ 懐中時計の蓋を開いた剛体蛇腹を出すタイプの 2 種類がある | 蓋を開かない形態では _ アメリカの[ エキスポ ] _ イギリスの[ チッカ ]が同年代に作られ _ 後に日本からは[ モーメント ]が出される | エキスポ _ チッカとも考案者の M . ニエルからパテントと譲り受けて製造した | フィルムは専用カセットに入ったものを使うが _ 現在のカートリッジフィルムと同様のドロップイン方式であった | エキスポは昭和初期まで作られていた | 蓋を開ける懐中時計型にはイギリスの[ ランカスター・ウォッチ ]が有名な製品 | 剛体蛇腹が出てくる乾板使用カメラ | ラージタイプは紳士用で _ これより小さな婦人用のうち初期型は現存品がまことに少なく _ 貴重品扱いになっている | 日本で作られた[ ラヂヲカメラ ]は _ このランカスターのウォッチカメラからアイデアを得た
❖ … エキスポ初号型 | ❖ … チッカ | ❖ … チッカ[ 文字盤付 ]❖ … マジック・フォトレット
❖ … ランカスター・ウォッチ[ 紳士用 ] | ❖ … ランカスター・ウォッチ[ 婦人用 ]
❖ … ラヂヲカメラ
…………… ◤ 腕時計型・円盤型写真機 ◢ ……………
{ 腕時計型 }
腕に巻き付けるタイプは _ 第二次世界大戦後に出現したものと思われる | 必ずしも時計そっくりに作られてはいない | 強いて挙げればドイツの[ シュタイネック ABC ]ぐらいのもので _ あとは腕に巻いて撮影できる程度の小型なカメラである | シュタイネックは二眼レフレックス式に斜めの反射面に映る被写体を確かめて撮影できた | スイスの[ テッシナ ]は二眼レフレックスで _ ビューのフォーカシングスクリーンにペンタリズム・ファインダーを装着できた
{ 円盤型 }
日本では _ この種のタイプは作られなかった | 懐中時計型カメラより _ はるかに肉厚のものが多い | 深さのあるボディーの中に普通は乾板を 5 角形状に立てて並べ _ 撮影ごとに内部の基盤を回転させ _ 焦点面に未露光の乾板が出てくるようにする | フィルム使用のものはほぼ 2 種類ある | ひとつは昔のベスト隠しカメラであるシュティルン・ベストカメラと同じ方式で _ 円形フィルムに花弁状に写真を撮るもの | もうひとつは円盤状カメラの中にロールフィルム _ あるいはカセットを入れ _ いずれもフィルムを横送りするタイプである
❖ … シュタイネック ABC | ❖ … テッシナ[ 時計付 ] | ❖ … リスタマチック 30
❖ … フォテークカンド | ❖ … スナップカメラ | ❖ … ピックカメラ
…………… ◤ ベスト隠し・カバン型写真機 ◢ ……………
{ ベスト隠し }
ベストの下にカメラを隠し _ ボタン穴からレンズだけを出してノーファインダーで撮るカメラ | 円形乾板に花弁状に小円形画面を撮影する方式は R . D . グレイが考案 _ この製造権を譲り受けて製造したのが _ [ グレイ・ベスト ]と[ シュティルン・ベスト ]である | 販売主力のアメリカでしか売らなかった限定カメラもあった | フランスの[ フォトエクレア ]は円形乾板回転撮影までは同じだが _ 画面サイズは普通写真と同様の角形であった
{ カバン型 }
このタイプも日本では製造されなかった | 角型のカバン _ いわば荷物を入れる普通形式のカバンに仕込んだものが多いが _ 婦人用も化粧品入れカバンや _ ハンドバックがカメラに変身する形式のものがあった | [ オプチマス鞄型カメラ ][ クイーン鞄型カメラ ]は荷物用革製角カバン形式 _ [ フォトサック・ア・メン ]は書類入れ用木製革張りカバン形式である | [ レディース・カメラ ]は _ 婦人用の手提げ式カバンを模したものであった
❖ … グレイ・ベストカメラ | ❖ … シュティルン・ベスト 1 号 | ❖ … フォトエクレア
❖ … オプチマス鞄型カメラ | ❖ … クイーン鞄型カメラ | ❖ … フォトサック・ア・メン初号型
❖ … レディースカメラ
…………… ◤ 双眼鏡型・単眼鏡型写真機 ◢ ……………
{ 双眼鏡型 }
双眼鏡に似せて作られたカメラ | この形式も古く湿板写真時代に出現している | 双眼鏡の上に大きな円盤状のマガジンを乗せた[ ジュメユ・ニクル ]がそれで _ マガジン形式のためドライ・コロジオン乾板という特殊なものを使用した | ドイツのゲルツ社で作った[ フォト・ステレオ・ビノクル ]は同社初のアマチュア用カメラであった | 双眼鏡という異形カメラから手掛けたのは当時 _ それだけ双眼鏡カメラが人気を集めていた証明にもなる | また _ フランスの[ ステレオフィジオグラフ ]もステレオ判撮影だが _ 横向きカメラであった | これを単写真撮影用にしたのが単眼鏡型カメラの起こりであった
{ 単眼鏡型 }
その単眼鏡カメラを[ フィジオ・ポケット ]という | これも横向きカメラである | このカメラが人気になり _ ドイツのネッテル・カメラヴェルクがライセンスを得て作ったのが[ アルグス ]である | 関東大震災の折 _ 写真誌アルスの大特集に掲載された写真の多くが _ このアルグスで撮られたものであった | [ 横向き ]カメラだからこそ撮り得た写真だった
❖ … フォト・ステレオ・ビノクル | ❖ … ビノカ | ❖ … テレカ | ❖ … フィジオ・ポケット
❖ … オリノックス双眼鏡カメラ | ❖ … アルグス | ❖ … セクレット・スペシャル
…………… ◤ ブック型・化粧品付き写真機 ◢ ……………
{ ブック型 }
厚みのあるハードカバー書籍に似せて作ったカメラ | ゼラチン乾板が工業生産化されると間もなく _ スナップ撮影や盗み撮り用に各種の異形カメラが作られた | ブック型カメラもそのひとつ | 一番古い製品であるイギリスの[ オプチマス・ブックカメラ ]は 1886 年製である | 多くのブック型カメラが単行本型であり _ 乾板ホルダー 1 枚装填式と多数の乾板を最初に詰め込んでおく _ マガジンカメラ式の両方式があった | また書籍を 3 〜 4 冊まとめた形にしたブックカメラもあった | 米国の[ ブック・ディテクティブ・カメラ ]は 3 冊構成の乾板ホルダー装填式の 1 枚撮りカメラであった
{ 化粧品付 }
化粧品セットの箱の中にカメラが入っているものと _ 化粧品の中にカメラを組み入れた複合製品がある | 化粧品の中に美麗な装いをしたカメラを入れるのは _ 昭和初期の世界大恐慌の際 _ 新規需要を開拓しようとして米国のメーカーがトライしたものだ | 化粧のためのコンパクトにカメラを仕込んだものは _ 第二次大戦後になって[ プチ・ヴァニティ ]が出て注目された
❖ … オプチマス・ブックカメラ | ❖ … タッシェンブーフ・カメラ | ❖ … フォト・ボリューム
❖ … ブック・ディテクティブ・カメラ | ❖ … フォト・ブカン・ステレオ | ❖ … プチ・ヴァニティ
❖ … フォト・ヴァニティ
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珠玉の光学装置群【世界の銘機】
……… 収録図抜粋 ………
珠玉の光学装置群【世界の銘機】扉 ベスト判カメラ・扉
       
  35mmリジットカメラ01   二眼レフカメラINDEX  
……… 収録文抜粋 ………
| ……… 乾板カメラ・特殊カメラ・超小型カメラ・大中判一眼レフカメラ ………|
歴史は常に幾つもの挑戦を繰り返しながら進んできた
⦿
光学機器群も _ その例外ではない
⦿
その歴史は遠く 19 世紀初頭の素朴な木製大型カメラに始まる
⦿
やがて _ ファインダーやシャッターという装置を備え _ より高精度な金属へと変貌してゆく
⦿
更には共謀者でもあるフィルムの進化と共に社会と融和し
より細分化しながら _ その光根を延ばした
⦿
〓 写真装置という[ 精緻 ]な[ メカニズム ]の【 像殖 】は続く ………
| ……… ブローニー判・セミ判・6×6 判カメラ ……… |
今世紀初頭に誕生して以来 90 年あまりの歴史を持つブローニーフィルム
⦿
スタンダードな 120 型や細身のスプロールを採用した 620 型など _ 60 ミリの幅を持つこのフィルムは
6 × 9 判という _ ロールフィルムでは最大級の画面サイズと連続撮影による速写性を両立し
イコンタやメダリストなどをはじめとした数々の名機に採用され
今も多くの人々に【 愛 】され続けている
⦿
〓 [ 画質 ]と[ 機動 ]性の[ 調和 ]は
写真機にとって永遠の【 命 】題のひとつである ………
| ……… ベスト判カメラ ……… |
戦前の代表的な[ 大衆 ]機であるベスト判
⦿
ベストの【 ポケット 】に収納できることから命名されたという _ この幅 4 センチの 127 ロールフィルムは
大ヒット作[ ベストポケット・コダック ]で[ 市民 ]権を獲得し
写真の大衆化に多大な功績を残した
⦿
このフィル ムを使う写真機は機種も豊富で _ 画面サイズもスタンダードな 6 × 4.5 センチ判をはじめ
4 × 4 センチ _ ベビー判と呼ばれる 3× 4 センチのものがあり
その[ シンプル ]で[ コンパクト ]なボディーは 〓 [ 道具 ]を超えた 【 愛 】着を感じさせるに
十分な魅力を備えている ………
| ……… フォーカルプレーン式 35 ミリ距離形カメラ ……… |
小型[ 精密 ]機械という表現が最も似合うカメラである
⦿
そして同時に機能【 美 】が最も端的に感じられるのも _ このクラスならではといえるだろう
⦿
ライカにはじまる初期のバルナックタイプ特有の【 放 】たれた機能性と
コンタックスに見られる【 秘 】められた精密さ
それらが集約され _ やがて[ M3 ]へ…
⦿
〓 いずれの機種も _ 時の先端技術が生み出した【 掌の宇宙 】とでもいえるような
計り知れない世界を[ 懐 ]に抱いている ………
| ……… 二眼レフカメラ ……… |
二眼レフカメラはとても[ 贅沢 ]なカメラだ
⦿
撮影レンズと同等の光学系を _ ファインダーという単なる映像装置に使い
写真を撮るという行為を _ [ 疑似 ]体験させてくれる
⦿
〓 それは期せずして立体視への欲求から生まれたステレオ写真用の【 三眼 】レフから派生したという
二眼レフの紀元と一致するものがある
⦿
戦前はドイツ製品が主だった二眼レフも _ 戦後は国産品が大衆機として一世を【 風 】靡
⦿
カメラの普及に大きく貢献した時期もあるが
いまはその繁栄のほどを伺い知ることは困難である ………
| ……… 35 ミリ一眼レフカメラ ……… |
写真撮影の為の道具としての姿を _ 最も【 理 】想的な形で[ 実現 ]した 35 ミリ一眼レフカメラ
⦿
カメラに求められる数多くの[ 要求 ]を消化し
さらに[ 道具 ]としての完成度の[ 高 ]さを追求するが故に
【 どこか 】に[ 矛盾 ]点を内包している部分もあるが _ そこがまた魅[ 力 ]といってもいいだろう
⦿
そして _ いずれの機種も豊富な交換レンズをはじめとした[ システム ]によって
〓 【 ミクロ 】から【 マクロ 】までの全ての世界を捕らえることができるという
大きな可能性を秘めている ………
| ……… 35 ミリレンズシャッターカメラ ……… |
フォーカルプレーン式 35 ミリカメラが _ 外界に開かれたシステムの一環として存在しているとすれば
レンズシャッター機は差し詰め _ 【 閉ざ 】された[ 自己完結 ]型に
[ 向かって ]ゆくカメラといっても良いのかもしれない
⦿
それ故に _ いずれの機種も比較的[ 短命 ]で[ 孤独 ]な存在だが _ 名機と呼ばれるものはある種の
[ 完成 ]された[ 世界 ]を堪能させるに十分な魅力を備えている
⦿
その世界に[ 馴染め ]るか[ 否 ]か
⦿
その機種への愛着や【 思い 】入れは 〓 そんなところから
【 生 】まれてくるのかもしれない ………

ジルー・ダゲレオ・タイプ
世界最初の販売カメラ | くるみ材使用 | 側面に銀板写真発明者ダゲールの品質保証のシールがある | フォーカシングスクリーンのある後部木箱がレンズの付く前部木箱に入り込んで _ 後部側を手で動かしてピント調整をする[ スライディングボックス・タイプ ] | レンズは絞りもシャッターもない | レンズ全面の金具を開閉させてシャッターの役目を果たす

トロピカル・ウナ
トロピカル仕上げとしては[ 世界最高級 ]で _ これを凌駕する製品はついに出なかった | チーク材使用 _ 真ちゅうアングル埋め込み磨き出し _ ビスの割れ目を一定方向に揃えるなど技法の[ 粋 ]をつくしていた | カメラの機構そのものは _ ドイツの総金属製カメラと比較すると少しばかり古すぎる | それも道理でトロピカル・ウナはかなり以前から作られていた

ゲルツ・アンシュッツ・アンゴー
第一次世界大戦後のアンゴー改良型 | 十文字にクロスしたレンズ前板が黒革張りになった | レンズはゲルツ・ドッペル・アナスチグマットからドグマー F4.5 に改めた新鋭のものを装着 | このアンゴーは大手札判だが _ 日本では _ もう少し小さな手札判( 8 × 10 . 5 センチ )が多く使われていた | 日本の大正〜昭和前期の代表的な[ プレスカメラ ]であった

アニバーサリー・スピードグラフィック
アニバーサリー型は 1940 年から製造されているが _ レンズシャッターにグラフィック・シンクロマチックを装備しているので後期型になる | 連動距離計 _ オプチカル・ビューファインダー _ フレームファインダー付 | 米占領軍の報道関係者が盛んに使用したことで日本でもよく知られるようになったプレスカメラ | 日本では[ スピグラ ]と愛称した

RB スーパー D グラフレックス
第二次世界大戦後の改良型 | ミラーは表面鏡採用 _ シャッターのスプリング・テンションを高( H )低( L )の 2 種に省略 _ フラッシュ同調装置組み込み _ セミ自動絞り機構を加えるなど時代にマッチした製品に仕上げた | とくにエクターレンズに装備された[ セミ自動絞り ]は外式であるが _ 世界最初の機構であり _ その後の一眼レフカメラの発展に寄与した

ハッセルブラッド 1000 F
最初のモデルの 1600F に次いでシャッター速度を 1 / 1000 秒におさえたのが 1000F 型 | 第二次世界大戦中 _ スウェーデン空軍のために開発したボックスフォーム 6 × 6 センチ判カメラを _ 戦後になって一眼レフレックスに作り直したのが[ ハッセルブラッド ]の起こり | フィルムバック交換方式は大変優れていた | レンズは交換式だったが _ ピントフードは固着式

エルマノックス
大正期の第一次大口径レンズ競争時代に作られた高名なエルノスター F 2 を固定装着している | エルノスターの設計者はエルネマン社の技師 _ ルドヴィッヒ・ベルテレ | 日本にこのカメラが紹介された時 _ カメラにレンズが付くのではなく _[ レンズにカメラが付いている ]と言われたほど

コンパス
小さな角型ボディーの中に _ 連動距離計 _ 横向きファインダー _ ダークスクリーン露出計 _ フィルター3 種 _ レンズシェード _ 4 . 5 秒までの長時間露光可能のシャッター _ パノラマヘッド _ ピントグラス _ 交換式カメラバックなど当時 _[ 考え出せるだけの機構 ]を組み入れてある | ただし 35 ミリロールフィルムは短尺だけしか使えなかった

ミノックス
ラトビアのリガで作られ _ 旧ソ連に合併される際 _ 設計者のヴァルター・ツァップがドイツへ脱出し _ 以後生産はドイツで行れるようになった | プッシュプル方式のため迅速な撮影ができた | 20 センチまでの接写可能 | 常時 _ 絞り開放で撮影するがレンズのキレはよい | 各国の秘密警察などが争って買い求めたが _ 当時の日本はごく少量しか入手できなかった

ミニコード III
超小型の二眼レフレックスカメラのひとつ | 専用ダブルマガジン使用が普通 _ 10 × 10 ミリ画面を 40 枚撮れる | フィルム送りは _ かき落とし式 | レンズは自社製ヘリゴールで _ このレンズはオーストリア電電の電話度数計記録装置用にも使われ _ 先鋭なピントを結ぶ | ギロチン・シャッターはエアを使用 _ 作動音がまったくないといえるほど静かであった

ポラロイドランド 95
1 分間写真の発明者エドウィン・ランドの考案を基に製造した[ 最初 ]のポラロイドカメラ | 形態は旧式なフォールディングタイプだが _ カメラ内部はピクチュアロールを現像しポジティブ印画にする補助機構が内蔵されている | 1 分後に出てくる印画の色調はセピア | なおピクチュアロールはポラロイドの委託を受けてイーストマン・コダックが製造していた

プロミネント
連動距離計の両方にある対物窓部分がツノのようにボディーからはみ出ているところから _ 日本では「おいらん」という _ あだっぽい異名を付けていた | 写真では脱落しているが _ 大きな円盤状のグレースケール露出計がつく | ビルタス _ ペルケオとカメラ形態は違うが _ これらのカメラをくくって[ フォクトレンダー・スプリングカメラ三姉妹 ]ともいう

スーパーイコンタ
戦後の西ドイツ側ツァイス・イコン社で作られた | 販売量の最も多かった米国市場ではスーパーイコンタ C のモデル名で販売された | 連動距離計ハウジングのフロントがクロームになったのは戦前の 1936 年改良型からであるが _ より落ち着いたデザインになって _ いわばカメラとして完成されたものになった |[ スーパーイコンタの最終製品 ]

スーパーコダック 620
世界最初の[ オートエキスポージャーカメラ ]として有名 | セレンメーターの停止した指針を櫛歯カムが補捉 _ 絞りがそれ以上に絞られないようにする速度優先式 AE | この方式はエレクトリックアイ( EE )といわれた | 焦点調節は前玉回転 _ 距離計に連動 | なお使用フィルムの感度グループごとに受光量調節用マスク( 受光窓に被せて使用 )が用意された

海鵬 203
焦点調節は前玉回転だが _ わずかな繰り出し量をカムに伝えて距離計に連動させた | セミ判( 4 . 5 × 6 センチ )兼用のためファインダーにセミ判のマスクがブライトフレームで表示される | フィルム巻上げはラチェット式レバーだが _ 裏窓を見ながら番号を出す方式 | シャッターにはライトバリュー( 光量値 )目盛りが付く |[ 良心的 ]に作られた 6 × 6 カメラであった

ベストポケット・コダック[ 単玉 ]
日本で[ ベス単 ]と愛称していた単玉付きベストポケット・コダックで _ レンズパネルがエナメル塗りのツルツルした肌触りから _ とくに[ ツル単 ]と呼ばれていたモデル | 絞りは 1 〜 4 の数字記号 | レンズ部にあるフードをはずしてベス単特有のフレアを利用 _[ソフトフォーカス]描写を楽しむ人が後を絶えない | 日本写真界に功績をもたらしたカメラである

フェド I タイプ b
1934 年から製造のフェドにアクセサリーシューを装備したもので _ I 型タイプ b _ あるいは I b 型の表記で初期型と区別している | フェドは[ ライカコピー ]の最初の製品 | フォーカルプレーン・シャッターは布幕 _ 低速なしの 1 / 20 秒から | レンズはライカマウントの沈同式フェド 50 ミリ F 3 . 5 を装着している | このタイプ b は 1938 年までに約 5 万台生産されたという

コダック・エクトラ
コダック技術陣が総力を挙げて作り出した[ 高性能 ]35 ミリカメラ | 大変に特徴の多いカメラである | フィルムはマガジンに装てんしてカメラに詰める | マガジンは撮影途中の[ 日中 ]でも交換可能 _ 黒白 _ カラーの使い分けができる | 距離計のベースを長くして精度を高め _ またファインダーはズーム式で交換レンズの 35 ミリ広角から望遠 153 ミリの撮影視野に[ 即応 ]できた

キエフ
ドイツを占領した旧ソ連がドレスデンにあったツァイス・イコン社の工場設備 _ 資材などを[ モスクワ ]に移転させて製造したのがキエフ | 1936 年開発のコンタックスⅡ型とそっくりにできている | 距離計基線長は 90 ミリ | フォーカルプレーンシャッターは上下走行の金属鎧戸式 _ セルフタイマー付き | なおキエフはこのあと II 型から 4 A 型まで作られた

フォカ・ユニバーサル
フォカを製造した O . P . L . はフランスの代表的なカメラメーカーのひとつで _ 一眼レフレックスのフォカフレックスも作った | ユニバーサルは距離計連動 _ バヨネットマウントのレンズ交換 _ 高低 2 段ダイヤルのフォーカルプレーンシャッター速度ダイヤルが[ 同居 ]している | ただし同年発売の PF 3 スリースターズ型はフィルム巻上げはレバーになっていた

アンスコフレックス
[ レイモンド・ロウイ ]のデザインが優れていた | 写真にあるピントフード前ぶたを下へ降ろすとレンズ側をかぶせてしまうバリアになり _ 同時にピントフードの両サイドの板が倒れて裏ぶたになる | レンズは固定焦点 _ ビュー側は大きな反射式ファインダーなので二眼レフレックス・スタイルのカメラである

デュフレックス
ポラミラー式アイレベルファインダーの他にビューファインダーも備える | 採光窓付で 35 _ 50 _ 90 ミリレンズのブライトフレームを表示 | [ クイックリターンミラー ]を最初に装備した 35 ミリ一眼レフであるが _ このカメラの存在すら知られていなかった | 量産試作程度の量しか生産されていない | ペンタプリズム搭載の試作品を作ったが _ これも[ 試作 ]に終わった

アルパ・プリズマレフレックス
フォーカシングスクリーンを上から覗くレフレックスタイプのアルパ・レフレックスに _ 着脱式ペンタリズムを装着したモデル | アルパは 35 ミリ距離計連動カメラから出発し _ 戦後になって形態を変えずにレフレックス機能を加えた | このため連動距離計 _ ビューファインダーを残したままの[ 異常な形態 ]のペンタリズム式一眼レフカメラになってしまった

ベッサマチック
フォクトレンダー社の最初の 35 ミリ一眼レフカメラ | 交換レンズは 35 ミリ広角 _ 長焦点 100 ミリ _ 望遠 135 ミリと 35 ミリ一眼レフカメラ用としては世界最初の[ ズームレンズ ]_ ズーマー 36 〜 82 ミリ F 2 . 8 が用意されていた | ペンタリズムカバー下段にあるセレンメーターの表示はファインダー内の追い針式 _ この追い針は[ カニのはさみ ]のような格好をしていてユニークだった

トプコン RE スーパー
世界最初の[ TTL ]35 ミリ一眼レフカメラ | CdS 受光体をミラー背面に張り付け _ ミラーには細いスリットがいくつも刻まれ _ このスリットからきた光を受光する | レンズの絞り開放 _ 平均測光 _ バヨネットによるレンズ交換をしても開放 F 値の補正は必要としない | ペンタリズム着脱式 _[ 重厚 ]な感じのするカメラであった

アーガス C - 3
日本では[ 弁当箱 ]スタイル _ 海外では[ 煉瓦 ]スタイルと呼ばれてた箱型 35 ミリカメラ | 米国ではことのほか人気があって[ 超ロングセラー ]カメラだった | 距離計対物窓にある焦点調節リングを回すとギヤでレンズが繰り出され _ かつ偏角ミラーが動いて距離計に連動させる | 接眼窓は 2 個 | シンクロ接点が設けられているが[ 専用フラッシュガン ]でないと使えなかった

グラフィック 35
上下像合致式の連動距離計付だが _ 焦点調節の方式がユニークだった | 出っ張りの部分の上面には距離と絞り目盛りが数値と色分けで表示されている | フラッシュ時の設定絞り値が[ 一見して分かる ]ようになっていて便利 | 大型のフロントレバーでシャッターレリーズする | 日本人の手には少々重いが _ 扱いやすいカメラだった
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光輝く時間のPROPOTION【日・独機の歩行】
……… 収録図抜粋 ………
光輝く時間のPROPOTION【日・独機の歩行】扉 乾板/特殊/超小型・大中判一眼レフカメラ・扉・扉
       
  ブローニー判カメラ01   ブローニー判・セミ判6×6カメラINDEX  
……… 収録文抜粋 ………
35 ミリ距離計カメラ時代の木村伊兵衛は _ 【 F 5 . 6 】という絞りを[ 常 ]用していたという
⦿
〓 [ F 5 . 6 ]から[ 8 ]がレンズの性能を最もよく引き出すということは
写真サロン臨時増刊号[ 優秀レンズはどれか ]< 1956 年 / 玄光社 > でよく解る
⦿
ここでは当時の代表的なレンズがほとんどテストされ
ベストの絞りがどのようなものであるかを徹底的に【 記述 】している
⦿
[ 開放 ]は画質的に良くないが _ ひと絞り絞ると[ 収差 ]がとれる
⦿
絞ることで[ 余 ]裕ができ _ 少しフレアを[ 残 ]しながらも _ そのレンズ本来の【 味 】を出す
⦿
黎明期のレンズなども少し[ 加減 ]してやることで 〓 [ 見 ]事な描写をしてくれる
⦿
そして _ いまでも使われる往年の写真機は多い
⦿
それはかつての写真機の殆どが写真を[ 撮る道具 ]として 〓 【 必要 】最低限の
【 メカ 】ニズムで作られていたからである ………

イハゲー・パテント・フォールディング・レフレックス
当時流行していた折りたたみ式大型一眼レフにはその機構上 _ 無理や操作上の複雑さのため故障が多かったが _ 後発の本機はそうした欠点を改良し _ [ 独特の開閉 ]方式による構造を実現している | しかし同社はこのあと世界初の総金属製の精密一眼レフ _ エキザクタを発表したため _ 本機は旧型一眼レフの[ 最後 ]となった

エキザクタ
127 ロールフィルムを使うエキザクタは _ 近代一眼レフの[ 始祖 ]と言われ _ 独創的な構造と機能を持ったカメラである | 初期の製品は真鍮部を黒エナメルで仕上げたが _ 後年になって[ クローム ]メッキの技術が進み _ カメラにも用いられた | 新時代にふさわしい[ 品格 ]を漂わせる表面処理が受けて _ 各社からクローム仕上げのカメラが続出した

シュタイネック ABC
35 フィルムを 24 ミリの円形にカットして使い _ その中に 5 . 5 ミリのネガを 8 コマ _[ 花びら ]状に写し込む | フィルムも円形マガジンに入っており _ マガジンフィルム窓はカメラに装塡して裏ぶたを閉めると開く | 左腕に付けて携帯し _ 独特の反射ファインダーで被写体をとらえ _ 竜頭の位置にあるシャッターボタンを押して撮影する | 性能的にも大変優れていた

リンホフ・テヒニカ 23
1903 年以来 _ ハンドカメラを作り続けてきたリンホフの[ 完成 ]された型として _ 信頼の定まったカメラである | [ アオリ ]装置が完備されていて _ 前板部で上下左右 _ ドロップベッド _ 後部のピント面では 15 度のアオリが可能であり _ またレボルビングバックであるため _ 応用範囲は広い | しかも蛇腹は 3 段伸ばしになるので _ あらゆる撮影目的に使うことができる

フジペット
大手のフィルムメーカーが[ 子供向け ]に作った 6 × 6 判カメラという点が _ 特筆されるべきであろう | しかし子供向けとはいいながら _ 良心的な設計が評価され _ 当初 20 万台という見込みであったが _ 実際にはその数倍が売れたといわれる | しかし _ この後に出たフジペット EE は振るわなかった

マミヤ 16 スーパー
コーナン 16 とともに国産[ 超小型 ]カメラの双璧 _ と称された高性能機である | ボディー上面にある距離目盛り盤の指針で距離を設定するとレンズの前玉が回転して _ ∞ から 30 センチまでの焦点調整ができる | ファインダーは枠型の透視式で _ 対物枠がレンズカバーを兼ねるが _ 同時にこれを引き出さなければシャッターが切れないようになっている

オリンパスペン
[ ハーフ ]判流行の走りとなった本機は _ ドイツ模倣からの[ 脱却 ]が課題になっていた時代に出現した _ 日本独自のアイデアによるカメラとして _[ 歴史 ]的な観点からも特筆に値する | ピント合わせは目測だが _ 2 メートルと 5 メートルの位置にクリックストップを設けて _[ スナップ ]撮影がしやすいようになっている | 本機シリーズは各種あるが _ 海外での評価は芳しくなかった

ゼンザブロニカ
国産ハッセルブラッド型 6 × 6 判一眼レフ | 特徴は焦点調節のためのレンズ繰り出しとフィルム巻き上げ _ フォーカルプレーン・シャッターチャージ _ シャッター速度変速などを[ 同軸 ]のノブで行うことである | 製作者によれば _[ 100 の特許 ]を盛り込んだというが _ マガジンとカメラを結合して使用する機構がハッセルブラッドと同じであるために[ 問題 ]になった

ヤシカラピード
独特のデザインのハーフ判カメラである | [ 特異 ]なのは下部側面のレバーを引くとファイルが巻き上げられ _ シャッターもセットされるところである | なおフィルム送りはスプロケットを使っていないので _ フィルムが巻き取られ _ 径が太くなるにつれて画面の[ 間隔 ]は少しずつ広がっていく | そのため 36 枚撮りフィルムでもハーフ判が 64 枚しか撮れなかった

フジカシックス
国産スプリングカメラのなかで _[ ヘリコイド ]による全群繰り出し方式を採用しているのは _ このフジカシックスと小西六( 現コニカ )のパールシリーズである | どちらも[ 感材会社 ]の製品という所が面白く _ 両機種とも会社のイメージアップに貢献したカメラである | よく写ると世評に高いものであった | ボディーを見ても _ 機構的に凝ったところは見られないが _ 多分すべての要素( レンズ _ シャッター _ ヘリコイド _ 巻き取りなど )が[ 絶妙な ]バランスを持っているのであろう

ベビー・イコンタ
最も早く登場した 3 × 4 センチ判カメラであった | ボタンを押すと _ スプリングの力でレンズが所定の位置まで飛び出して撮影体勢になり _ たたみ込むとポケットに収まり _ しかも[ 頑丈 ]で[ シャープ ]な描写性能を持っていた | 日本でも多くの類型機が作られた

ライカ II
1930 年 _ ライカ II はレンズ交換ができる C 型へと発展したが _ その結果 _ 焦点深度の浅い長焦点レンズや明るい大口径レンズを用いた場合 _ 正確なピント合わせの問題が生じた | それを解決したのが II 型である | レンズのヘリコイドの回転に合わせて距離計を連動させるという画期的なもので _ ライカの[ 原型 ]となった

ニッカ III S
戦時中から軍の意向で _ ライカのコピー機を作っていたニッポンカメラは戦後 _ ニッカと社名を変更して III 型( 1949 )/ III A・III B( 1951 )/ III S( 1952 )/ 4 型( 1953 )/ 3 S( 1954 )と改良を重ねた | ライカ[ 特許を無視 ]しても _ という要請でスタートしたこのシリーズはバルナックライカの忠実なコピーであったため _ ライカのアクセサリーを[ 共用 ]することができた

ニコン I
ニコンの[ 最初 ]のモデルである | 後に世界的な名声を得るニコンも _ 草創の頃は性能面で欠点もあった | 六切 _ 四切の印画紙の比率に合わせたという _ 画面サイズ 24 × 32 ミリもその一つである | また初期製品のため生産が軌道に乗らず _ 性能にばらつきがあった | [ 外観はコンタックス ]_[ 内部機構はライカ ]に範をとったこの型は多くの改良を重ね _ 完成されていく

ニコン S2
ニコン S シリーズの[ 名機 ]とうたわれたモデル | 50 ミリ用ブライトマスク入り等倍ファインダー _ 倍数系列速度目盛り _ クランク式巻きもどしなど _ 従来のニコンに比べると大幅に改良された | シャッターは布幕左右走行のフォーカルプレーンだが _ 軸受けにスモール・ボールベアリングを使用 _[ 軽快 ]な作動が賞賛された | 最高速度は[ 1 / 10000 秒]になった

ローライフレックス・スタンダード
改良というものは便利さに引っ張られての精神の堕落で _ その実 _ 改悪であることが多い | スタンダード型は大量に生産されたことからも _ 当時の人気がしのばれる | 確実なコンパーシャッターとテッサーレンズ _ 軽快なクランク巻き上げはカメラの[ スピリット ]のようなもので _ カメラ趣向者には堪えられない

ローライフレックス 4 × 4
2 . 8 オリジナル・ベビーとも呼ばれている | ローライフレックス 4 × 4 の最初のモデル | クランクレバーによるフィルム自動巻止めという[ 優れた機構 ]を開発した | これは翌年発売の 6 × 6 判ローライフレックス・スタンダードに受け継がれ _ ローライの大きな特徴となった | テッサー F 2 . 8 付でシャッターがコンパーラピッドになったのは 1933 年から発売された

コンタフレックス
距離型連動の小さなファインダーに代わって _ 大きな焦点板上でピントを合わせることを一つのメリットとしたのが 35 ミリ判の二眼レフであったといえる | ビューレンズに焦点深度の浅い長焦点のものを使い _ ピントを合わせやすくしただけでなく _ それを[ さらに拡大 ]して見るようになっていた | 高級[ この上ない ]カメラであった

スパーブ
フォクトレンダーらしい[ 手の込んだ ]機構と外観のため _ 数多い二眼レフの中で独特の[ 存在感 ]があるが _ 操作性に欠けるところがあった | 最大の特徴はパララックスの自動補正装置で _ 近距離になるにしたがい _ ビューレンズが下方に傾斜し _ 同時にピントグラスも前下がりになる | シャッター速度の数字を[ 逆文字 ]に刻み _ 上から正しく見られるようになっていた

ミノルタフレックス I
プリンスフレックスにわずかに遅れて発売されたが _ 工作とシャープなレンズの描写が評価され _ プロ・アマの間で人気があり _[ 国産ローライ ]と称賛された | 構造はローライコードを手本とし _ ファインダー部分はイコフレックスに似ていたが _ 既にローライコードにはない二重撮影防止装置を持つなど _ 独自性もあった

パーフェクタ
珍しい折りたたみ式の二眼レフである | この方式の先行機種にベスト判のピロートがあって _ ヘリコイド式焦点調節 _ 自動巻き止めなどが共通している | レンズボードにファインダー装置関係を装備し _ フィルム室を[ X ]型トラスで保持し折りたたむ仕組みである | 他にレボルビングバックの 6 × 9 センチ判のスーパーフェクタが発売された

リコーフレックス VII
二眼レフブームの最盛期に発売されたもので _ 日本で最初にコンツール[ 輪郭 ]式透視ファインダーを付けた | 片方の目でピントフードの前方にある透視ファインダーを _ もう一方の目で被写体をみると _ 両方の像が重なって見えるという[ 生理学 ]的効果を利用したものである

アサヒフレックス I
日本[ 最初 ]の 35 ミリ一眼レフカメラ | その当時の日本は二眼レフカメラブームに沸き立っていたので _ あまり注目されることはなかった | フォーカシングスクリーンを上からのぞきこむレフレックスタイプ | 縦位置画面撮影では使いづらいので別にビューファインダーが装備されていた | ミラー復元はレリーズボタンから指を離すと戻るエバーリターン式

コンタックス S
世界初の[ ペンタプリズム ]一眼レフは社会主義国・東ドイツの VEB[ 人民公社 ]ツァイス・イコンで生まれた | 当時 _ 35 ミリ一眼レフはすべてウエストレベルで _ 上下は正像でも左右が逆像だったが _ ペンタプリズムが組み込まれていて _ ファインダー像が上下・左右とも[ 正立像 ]になった

ズノー
ズノーは[ 幻 ]の 35 ミリ一眼レフカメラである | 1957 〜 58 年の 2 年間に作られた一眼レフで _ 当時としては最も進歩したスペックを持っていた | ペンタプリズムも交換式 _ ミラーはクイックリターンで _ しかもシャッターが開いている時だけ絞られ _ そのあとは開放になるという[ 完全 ]自動絞りを初めて実現した一眼レフだった | しかし生産台数も少なく _ また故障も多く _ 販売された製品の多くが返品 _ 放棄された | そのため現在では中古市場でも _[ その姿 ]を見ない

オリンパス 35 IV a
24 × 32 ミリ判だった I 型以来の _ ピリッと[ ワサビの利いた ] 40 ミリ F 3 . 5 レンズ _ コンパクトでシンプルなボディー _ 軽快なコパルシャッター _ そしてプレッシャープレートにはガラスと _ アイデアと創造性に[ 満ちていた ]35 ミリレンズシャッター | 発売は 1953 年で _ 今の感覚からしても _ とても小さく手に[ 馴染む ]ボディーである | ズイコー 40 ミリ F 3 . 5 は前玉回転だが _ そのハンデは感じられない

コニレット
[ 一家に 1 台 ]のキャッチフレーズで普及に努めた色付きプラスチック製だが _ 写りも良く _ 結構親しまれたカメラであった | フィルムサイズが通常のものより縦に広く _ フィルムメーカーならではの利点を追求した | 中枠を入れると普通の 35 ミリフィルムも使用できる

ビテッサ
観音開きと独特のフィルム巻き上げが _ このカメラの魅力の大部分を占めている | レリーズボタンを押すと前ぶたが左右に開き _ レンズ部が定位置に飛び出し _ ボディー上部に[ 棒 ]状の押しボタンが突き出る | この棒状のボタンを押すとフィルムが 1 コマ送られ _ シャッターもセットされる

コニカ III A
1956 年に製造したコニカ III の改良型 | 明り取り窓付きブライトフレームが追加された | 当時の小西六は[ 生きている ]ファインダーと宣伝文句に使っていた | フィルム巻上げはレンズわきにあるフロントレバーに 2 回押し下げ _ シャッターも同時にチャージされる | この独特の方式は前型の III 型から採用されていた | 小西六製品らしい[ 堅実 ]さであった
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二重視像の渦【STEREO写真機の形態】
……… 収録図抜粋 ………
二重視像の渦【STEREO写真機の形態】扉 硝子塊・光との闘い01
……… 収録文抜粋 ………
ステレオ・スコープの原理は写真の発明以前から知られていた為
ダゲレオタイプやカロタイプを使って様々な実験が繰り返されたが
思うような立体【 感 】を得るには至らなかった
⦿
しかし 1849 年になるとスコットランドのダニエル・ブリュースターによって
【 ステレオ・スコープ 】が発明され 〓 湿板写真以降ようやく立体に【 見合う 】写真と装置が現れた
⦿
1856 年 _ イギリスの光学機械製作者ジョン・B・ダンサーが
ステレオ・カメラの[ 特許 ]をとってから _ この装置は一挙に広まり
1860 年代には爆発的なブームを呼ぶことになる
⦿
当時の【 家庭 】では _ 一家に何十枚 _ 何百枚もの立体写真を持っており
〓 それをステイタス・[ シンボル ]として誇らしげに友人に見せていた ………
まず手始めに _ ステレオ写真の撮影基線長が[ 物体までの距離の 1 / 50 を目安とする ]となっていることの意味を説明する | 考え方の例えとして _ 地上の平面図形が地図上に【 相似な 】図形として描かれる図法を考える | 地球上に描かれた[ 円 ]が地図上でも[ 円 ]に描かれれば良いのだが _ もっと数学的に取り扱いやすい方法としては _ [ 正方形 ]が[ 正方形 ]として描かれるための条件式を計算してみる ………
……… 中略 ………
……… ステレオ写真にも _ 同じ考え方を使うことができる | この場合は 3 次元であるため _ 基本図形は立方体になる | 一辺 50 センチのボール紙の箱でも _ 一辺 5 ミリの角砂糖でも _ あるいは一辺 0 . 1 ミリの食塩の結晶でも _ ステレオ写真を表示したときに同じ立方体に見えれば良い | 表示画面と眼の間にレンズが入ると複雑になるので _ スクリーンの上に投射した画像を偏光メガネを通して観察している場合を考える | [ 立方体 ]を撮影して[ 立方体 ]として表示される条件は _ 比較的単純な計算で _ 次の二つであることが導き出される | 1:スクリーン上の画像を左右両眼の見込む[ 角度 ]が _ 撮影時に撮影レンズが被写体を見込む[ 角度 ]と一致している | 2:スクリーン上に表示された物体の端から端まで見込む[ 角度 ]が _ 撮影時に被写体を見込む[ 角度 ]と一致している ………
……… 中略 ………
……… 撮影 / 表示画角の比の値が 2 倍以上になることは滅多になく _ また物体が小さい場合には _ ほぼ[ 直方体 ]になってしまう | これに対して _ 撮影基線長は 2 倍どころか 3 倍 _ 4 倍となってしまう場合が _ ステレオカメラや 2 台のカメラを使用した時に生じがちである | 撮影時の基線長を物体までの距離に比例して設定することは _ 相似形で大きさが異なる物体を同じ形に表示することに相当している | ところが遙かにスケールの大きな山岳ステレオ写真などでは _ 経験者の推奨する撮影基調線は 1 / 50 よりも短い場合が多い | これは【 相似形に表示することが理想 】という仮定自体が _ この場合には成り立たないためと思われる | 例えば _ 富士山が美しい[ 円錐形 ]をしていても _ [ 円錐形 ]の奥行きに私たちが日頃認識していないならば _ 1 / 50 は過大な基調線となってしまう ………
……… 中略 ………
……… ステレオ写真や _ その他いろいろな立体画像を研究している人々のうち _ ある人は[ 私たちの世界は 3 次元であるのに対し _ 通常の写真は 2 次元でしかなく _ ニセ物である ]と主張する | 大画面に投影した画像は _ 3 次元的に臨場感を持って感じられるではないかと考え _ これに【 疑似立体画像 】と言う名前を付けたりしている | それでは _ あるところまでが平面画像で _ 次に疑似立体画像があるという構成を考えて良いのか… | このあたりは _ 明確な見解は定まっていない ………
……… 中略 ………
……… 奥行きを感じる仕組みを工学的に実現する手段として _ 人間は有限の[ 検出精度を持った感覚器 ]で外界から情報を取り入れていて _ 画像はこの感覚器に _ 実際の外界を【 思い起こさせるような 】工学的に実現可能な[ 刺激 ]を作りだす | 情報を[ 画像における奥行き要素 ]と捉えることで _ いろいろな混乱は解消される | けれども _ 奥行き要素には他の要素には見られない _ 特殊な【 事情 】がある | 人間が奥行きを感じる【 手掛かり 】は _ 非常に多数の要素が挙げられる | 画像の表示に当たっては _ これらすべての要素が[ 複合 ]し _ ある場合には[ 強め ]合い _ ある場合には[ 弱め ]合って働く ………
……… 中略 ………
……… ステレオ写真は _ 通常の写真に左右両眼の【 視差 】という要素をつけ加えたものといえる | このときに _ [ 単眼視 ]による奥行き検出の要素が同時に働く | そのため _ 同じ奥行きの物体でもオレンジなどの[ 進出色 ]を塗り _ 画面の中で[ 大きく ]て[ 陰影 ]がはっきりしているものは _ それだけ良く【 飛び出す 】ことになる | この両眼視差だけを純粋な形で取り扱うことのできる実験手段として _ [ ランダムドット ]によるステレオ画像がある | 一例として _ 三つ並んだ図形に左右は同一パターン _ 中央パターンは画像中央の正方形の領域を平行移動して作成してみる | ステレオビュワーを通して観察するか _ 裸眼立体視をすると _ 二つの立体像のうちの一方は[ 飛び出し ]て _ 他方は奥に[ 窪ん ]で見える ………
……… 中略 ………
……… ランダムドットステレオグラムは _ 人間が左右両眼で見た画像から視差を検出するのに _ まず【 輪郭 】を検出してから視差検出をする情報処理のチャンネルに _ 細かい【 明暗パターン 】で直接視差検出を行うものとの 2 系統がある | 実はこの事は _ ステレオ写真で注意深く作品作りをする人には経験的に知られていた | 表面が一様で白いボールはステレオ写真に撮影しても _ あまり立体感が出ないのに _ 表面に【 凸凹 】を付けたり _ 適当な【 明暗 】の塗り分けを行うと _ 丸みを持った立体的な表示が実現できることを ………
…………… ◤ 戦前 ◢ ……………

ステレオ・ジュメユ | H・ベリーニ・ナンシー | フランス | 1894 年頃
8 × 9 センチ乾板用 | レンズ:110 ミリ F 8 | 焦点調節は繰り出し式 | シャッタースピード:変速可能 | 向かって右側に重ねた 24 枚の乾板を順に左側へ送る方式 _ ステレオで 12 組が撮影可能

ラ・フランシア | マッケンシュタイン | フランス | 1896 年頃
45 × 107 ミリ乾板 | 18 枚撮りマガジン付き | レンズ:テッサー 55 ミリ F 6 . 3 | シャッター:B・1( 5 段階調節 )ギロチン式シャッター | ラックピニオン式焦点調節 | 上下シフト可能 | ボディー:木製

ゴーモン | ゴーモン | フランス | 1900 年頃
60 × 130 ミリ乾板 | 2 枚撮りマガジン付 _ パノラマ兼用 | レンズ:テッサー 84 ミリ F 6 . 3 | 直進式ヘリコイド焦点調節 | レンズは上下にシフト可能 | ボディー:木製/黒革張り | 外部にシャッタースピード無段階調整用のエアーシリンダーがある | パノラマ時は本体内部の仕切り板がスライドして横に逃げる | 上面と側面に水準器と三脚穴がある | ファインダーにも吊り下げ棒の左右水準器がある

ル・ステレオ・パノラミック・ルロイ | ルロイ | フランス | 1905 年
60 × 130 ミリ乾板 | パノラマ兼用 | レンズ:ダゴール 80 ミリF 8 . 5 | 直進式ヘリコイド焦点調節 | シャッタースピード:5 速 _ 3 枚のロータリーシャッター式で _ パノラマ時は向かって左側の円盤上のレンズが回転して中央にくると同時に内部の仕切り板が上部へ跳ね上げられる | ボディー:金属製で側面にもパノラマ用三脚穴がある

ベラスコープ | リシャール | フランス | 1910 年頃
121 ロールフィルム用ホルダー付( 45 × 107 ミリ相当) _ レンズ:テッサー 55 ミリ F 4 . 5 | シャッター:T・1( 変速可能 ) | 固定焦点 | 反射ファインダーおよびニュートンファインダー | ボディー:ブルーグレー仕上げ総真鍮製 | レンズは上方のみシフト可能 | フィルム送りは圧板をノブで緩め _ 4 つの赤窓を使い指示通りに番号を出していく | 乾板用マガジンと交換可能

ステレオ・テナックス | ゲルツ | ドイツ | 1912 年
45 × 107 ミリ乾板用 | レンズ:シンタール 60 ミリ F 6 . 8 | シャッター:T・B・1 〜 1 / 250 秒 | 蛇腹式で前板を 4 本の腕で支える | 焦点調節は本体上面のダイヤルによる繰り出し式 | ボディー:金属製

コスモクラック | リーチェル | ドイツ | 1914 年
45 × 107 ミリ乾板 _ パノラマ兼用 | レンズ:リネアール 65 ミリ F 4 . 5 | ラックピニオンによる蛇腹繰り出し式焦点調節 | 上方のみシフト可能 | シャッター:ステレオ旧コンパー T・B・1 〜 1 / 250 秒 | ニュートンファインダー式と反射ファインダーのものとがある | パノラマ時 _ 内部の布幕製仕切りが横に逃げる | ボディー:金属製 | 側面にもパノラマ用三脚穴と水準器がある | 小型ながら多機能カメラ

メントール | メントール & ブロイトマン | ドイツ | 1914 年頃
10 × 15 センチ乾板用 | レンズ:テッサー 150 ミリ F 4 . 5 | シャッター:布幕フォーカルプレーンシャッターで _ T・B・1 / 5 〜 1 / 1500 秒 | ステレオでなくレンズ 1 本のレンズボード使用の場合は _ 内部の布製仕切りとファインダー側の仕切りをそれぞれボディーの端に移動させる | ボディー:木製 / 黒革張り

モノブロック・サンプリフィエ | ジャンヌレ | フランス | 1915 年頃
60 × 130 ミリ乾板用 | 5 〜 6 枚撮りマガジン付 | レンズ:ボイヤー・サフィール 72 ミリ F 7 . 7 | シャッター:B および 10 段階調節 | ボディー:木製一部金属 | 独特なチェンジングマガジンを使用する | パノラマ兼用の高級機であるモノブロックの普及型

ハイドスコープ | フランケ & ハイデッケ | ドイツ | 1921 年
45 × 107 ミリ乾板 | 12 枚撮りマガジン付 | レンズ:テッサー 55 ミリ F 4 . 5 | シャッター:ステレオコンパウンド T・B・1 〜 1 / 300 秒 | 三眼レフレックス式 | 上方のみシフト可能 | ボディー:アルミ / 黒革張り

トキオスコープ | 曽根春翠堂 | 日本 | 1921 年
45 × 107 ミリ乾板用 | シャッター:ギロチン式 T・1 秒 | 絞り 3 段階 | 絞りのある前板を取り外すと口径の大きなレンズが本体側に残り _ ビュワーとして使えるのが特徴 | グリフォスコープをモデルとして作られたが _ 80 × 105 ミリの手札判を半切しても使えるようにしている | ボディー:木製 / 黒革張り

オントスコープ | コルリュー | フランス | 1923 年頃
45 × 107 ミリ乾板用 _ 12 枚詰めマガジン付 | レンズ:テッサー 55 ミリ F 4 . 5 | シャッター:T・1 〜 1 / 400 秒 | 反射ファインダーおよびオプチカルフレームファインダー | 上部レバーによる直進ヘリコイド式焦点調節 | レンズは上方のみシフト可能 | ボディー:総真鍮製 / グレー仕上げ

ポリスコープ | イカ | ドイツ | 1925 年頃
45 × 107 ミリ乾板用 _ 12 枚詰めマガジン付 | レンズ:テッサー 65 ミリ F 4 . 5 | シャッター:T・B・1 〜 1 / 250 秒 | 反射ファインダーおよびワイヤーフレームファインダー _ ラック・ピニオンによる繰り出し式焦点調節 _ レンズは上方のみシフト可能 | ボディー:アルミ _ 真鍮製 / 黒革張りで仕上げの美しいカメラ

シトスコープ | コンテッサ | ドイツ | 1925 年頃
45 × 107 ミリ乾板用 | 12 枚撮りマガジン付 | レンズ:テッサー 65 ミリ F 4 . 5 | シャッター:ステレオ旧コンパー T・B・1 〜 1 / 250 秒 | 三眼レフレックス式 | 上下シフト可能 | 焦点調節前玉回転式 | ボディー:総金属製 / 黒革張り

ステレフレクトスコープ | フォクトレンダー | ドイツ | 1928 年
60 × 130 ミリ乾板 | 12 枚撮りマガジン付 | レンズ:ヘリアー 75 ミリ F 4 . 5 | 繰り出し式焦点調節 | シャッター:ステレオコンパー T・B・1 〜 1 / 250 秒 | 三眼式カメラで中央は大型ピントグラス付きファインダー | 上方のみシフト可能 | ワイヤーフレームファインダー付 | ボディー:金属製

サンステレオカメラ | 山下友治郎商店 | 日本 | 1935 年
120 ロールフィルム用 | 画面サイズ:4 × 6 センチ用 | レンズ:単玉 _ 固定焦点 | シャッター:T・1 | ボディー:緑色のラッカー塗装仕上げの木製ボックスカメラ | 小型の反射ファインダーとワイヤーフレームファインダー付

エホ・ステレオ | エホ・カメラ・ファブリーク | ドイツ | 1936 年頃
120 フィルム用 6 × 6 センチ判 | レンズ:ドプラー F 11 _ 絞り 2 段階 | シャッター:B・1 秒 | 向かって左のレンズには遮へい板があり _ 右のレンズだけでも撮影可能 | 反射ファインダー _ ワイヤーフレームファインダー付 | ボディー:ボックス型で鉄板製 | ほとんどの部品が鉄板で出来ている

ステレルックス | ルミエール | フランス | 1940 年頃
62 × 62 ミリ判( 6 × 13 センチ判 ) _ 116 タイプロールフィルム用 | レンズ:80 ミリ F 6 . 3 | シャッター:T・B・1 / 25 〜 1 / 100 秒 | 蛇腹式 _ 4 本の腕でレンズボードが支えられている | ボディー:金属製
…………… ◤ 戦後 ◢ ……………

トライビジョン | ハニール・トライビジョン | アメリカ | 1946 年
画面サイズ 28 × 28 ミリ _ 828 ロールフィルム使用 | レンズ:60 ミリ F 8 | シャッター:B・1 〜 1 / 50 秒 | 固定焦点 | ボディー:プラスチック製 | ブラックとブラウンがある

ステレオ・リアリスト 1041 | デビット・ホワイト | アメリカ | 1947 年
画面サイズ 23 × 24 ミリ _ 35 ミリフィルム使用 | レンズ:35 ミリ F 3 . 5 | シャッター:T・B・1 〜1 / 150 秒 | 連動距離計付 | バックフォーカシング方式 | 初期のものは二重撮り防止機構なし | カメラの下部にファインダー接眼部がある

ロレオ | ロレオアジア | 香港 | 1947 年
画面サイズ 18 × 24 ミリ _ 35 ミリフィルムのフルサイズ内を 2 分割し _ 左右 2 枚を写す | レンズ:28 ミリ F 8 | シャッター:B・1 〜 1 / 50 秒 | 固定焦点 | ボディー:プラスチック製

イロカ・ステレオ | イロカカメラ | ドイツ | 1950 年
画面サイズ 30 × 24 ミリ _ 35 ミリフィルム使用 | レンズ:45 ミリ F 3 . 5 | シャッター:T・B・1 〜 1 / 300 秒( プ ロンター S ) | セルフタイマー付 | 距離目測式 | 左右の焦点調節は連動しない | 後期型はフロントカバーの形が異なる

ビューマスター・パーソナル | ソーヤーズ | アメリカ | 1952 年
画面サイズ 12 × 11 ミリ _ 35 ミリフィルム使用 | レンズ:25 ミリ F 3 . 5 | シャッター:B・1 / 10 〜 1 / 100 秒 | 固定焦点 | セルフコッキング式 | 上下二段に分けて 35 ミリ幅を往復で撮影する

リベア・ステレオ 33 | リベアカメラ | アメリカ | 1953 年
画面サイズ 23 × 24 ミリ _ 35 ミリフィルム使用 | レンズ:ウォーレンサック製 35 ミリ F 3 . 5 | シャッター:T・B・1 / 20 〜 1 / 200 秒 | セルフコッキング式 | 連動距離計付 | バックフォーカシング方式 | 当時としては最も近代的なステレオカメラ

ステレオ・ビビット | スリー・ディメンション | アメリカ | 195 4年
画面サイズ 23 × 24 ミリ _ 35 ミリフィルム使用 | レンズ:35 ミリ F 4 | シャッター:B・1 / 10 〜 1 / 100 秒 | セルフコッキング式 | 距離計連動式 | ビューマスター・パーソナルと同じメーカー製

エディクサ・ステレオ III A | ウィルギン | ドイツ | 1954 年
画面サイズ 23 × 24 ミリ _ 35 ミリフィルム使用 | レンズ:35 ミリ F 3 . 5 | シャッター:B・1 〜 1 / 300 秒 | セルフタイマー付 | 単独露出計内蔵 | 連動距離計

ステレオ・アルペン | 八陽光学 | 日本 | 1954 年
画面サイズ 23 × 24 ミリ _ 35 ミリフィルム使用 | レンズ:35 ミリ F 3 . 5 | シャッター:B・1 〜 1 / 200 秒 | 連動距離計付 | リベアに似た高級国産機

ステレオ・ヒット | 東郷堂 | 日本 | 1955 年
画面サイズ 30 × 40 ミリ _ 127 ロールフィルム使用 | レンズ:45 ミリ F 9 | シャッター:B・1 秒 | 固定焦点 | ボディー:プラスチック製 | ステレオ/シングルの切り替え可能

コダック・ステレオ | イーストマン・コダック | アメリカ | 1956 年
画面サイズ 23 × 24 ミリ _ 35 ミリフィルム使用 | レンズ:35 ミリ F 3 . 5 | シャッター:B・1 / 25 〜 1 / 200 秒 | セルフコッキング式 | 焦点調整は前玉回転式で目測式

ステレオ・アウラ | エーオー光研社 | 日本 | 1958 年
画面サイズ 23 × 24 ミリ _ 35 ミリフィルム使用 | レンズ:35 ミリ F 3 . 5 | シャッター:B・1 / 10 〜 1 / 200 秒 | 距離目測式 | 後期型はカメラの中央の下部にフォーカシング用ダイヤルがある

スプートニク | LOMO | 旧ソ連 | 1960 年
画面サイズ 60 × 60 ミリ _ 120 ロールフィルム使用 | レンズ:75 ミリ F 4 . 5 | シャッター:B・1 / 10 〜 1 / 100 秒 | 三眼レフ式 | ボディー:プラスチック製

ビューマスター・マーク II | ソーヤーズ | ベルギー | 1962 年
画面サイズ 12 × 11 ミリ _ 35 ミリフィルム使用 | レンズ:20 ミリ F 2 . 8 | シャッター:B・1( 1 / 30 〜 1 / 60 秒可変) | 固定焦点 | セルフコッキング式 | カメラ内部を斜めにフィルムが走行する

デュプレックス・スーパー 120 | ISO | イタリア | 1965 年
画面サイズ 23 × 24 ミリ _ 120 ロールフィルム使用 | レンズ:35 ミリ F 3 . 5 | シャッター:B・1 / 10 〜 1 / 200 秒 | 距離目測式 | 6 × 6 判 12 枚撮りで 24 組撮影可能 | デュプレックスのオリジナルは 1950 年

ミクロマ・ステレオ 35 | メオプタ | チェコスロバキア | 1972 年
画面サイズ 12 × 11 ミリ _ 35 ミリフィルム使用 | レンズ:25 ミリ F 3 . 5 | シャッター:B・1 / 60 〜 1 / 150 秒 | 固定焦点 | セルフコッキング式 | ビューマスター・マーク II と同方式

ニムスロ | ニムスロ | アメリカ | 1980 年
画面サイズ 18 × 24 ミリ _ 35 ミリフィルム使用 | レンズ:30 ミリ F 5 . 6 | シャッター:可変 | 固定焦点 | セルフコッキング式 | 4 枚 1 組で撮影 | イギリス製と日本製がある | レンチキュラー方式のステレオ写真撮影用
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独自の装置文法【FRANCE機の軌跡】
……… 収録図抜粋 ………
独自の装置文法【FRANCE機の軌跡】扉 戦後フランス写真地図01
……… 収録文抜粋 ………
感光物質を使って物の形を写すことに成功したのは _ フランスのニエプスで
日本では文政 5 年 _ 1822 年のことだと言われている
⦿
その後 _ パリ郊外で生まれたダゲールが銀板写真を完成し _ ダゲレオタイプと名付けた
⦿
1839 年 _ 天保 10 年のことだった 〓 写真の始まりである
⦿
写真はいわば[ フランス ]が【 発祥の地 】
⦿
以来 _ 連綿としてフランスでは写真の / カメラの歴史が続く
⦿
しかし日本には _ ことフランスカメラに関しては馴染みが薄い
⦿
戦前から戦後を通じて輸入が少なかったというのがひとつの[ 原因 ]だろうが
カメラといえば 〓 ドイツそしてアメリカが主要生産国として世界に君臨したことが
その大きな要因と思われる
⦿
ヒトラーがポーランドに侵攻し _ 第二次世界大戦が始まったのは1939 年 9 月
フランスはその 2 日後にドイツへ宣戦布告したが
1940 年 6 月には[ パリ陥落 ]の【 憂き日 】をみる
⦿
改めて _ そのような時代を背景に始まった
戦後フランス写真機の歴史を概観してみる夜があってもいい ………
…………… ◤ 1940 年代カメラの登場 ◢ ……………
| ……… コルニュ社 ………|
❖ … レイナ I | ❖ … レイナクロス
1940 年代に入って _ フランスで初めて発売されたカメラはコルニュ[ G . CORNU ]の【 レイナ[ Reyna ]I 】で _ 1941 年に発売された | ボディー本体と裏蓋 _ ふたつの頑丈なアルミダイキャストにシャッター / レンズ / 巻き上げノブ / 巻き戻しノブを付けただけのようなシンプルなカメラ | コンパクトな外観ながら _ 沈胴レンズとボディーシャッターを持つ 35 ミリ判である | 画面サイズが 24 × 36 ミリのいわゆるライカ判カメラは _ フランスでは 1923 年発売のル・フュレ[ Le Furet ] _ 1937 年のエルジィ[ Eljy ] _ 1938 年のノルカ[ NORCA ]があるが _ レイナは戦前の 1940 年代フランスの 35 ミリ機の一番手として _ 十分な個性を持ったカメラである | しかし _ ドイツ統治下のパリに工場があったため _ すぐに生産を休止することになってしまう | そこでコルニュ社は当時 _ 非占領地区であったサンテティエンヌ[ St . Etienne ]のジャン・クロスという人物にライセンス生産を依頼する | 生産のためのテクニカルディレクターとして抜擢されたのが _ 後にセムフレックスを製作したポール・ロワイエ[ Paul Royet ]である | レイナは _ ジャン・クロスの元で【 レイナクロス[ Reyna Cross ]】という名称で再生産される | そして _ シャッターを供給していたパリのジッツォ社[ Gitzo ]が工場を閉鎖したため _ ロワイエ設計の新シャッターをレイナクロスに装着することになる | レンズはベルチオ 49 ミリ F 2 . 9 となって焦点距離が短くなり _ 沈胴機構が省かれたが _ クロス 45 ミリ F 2 . 9 に変更される | これはアンジェニュー製のトリプレットタイプ・レンズである | このクロス 45 ミリ F 2 . 9 レンズ / ミクロメカニック製無名シャッター付が _ レイナクロスの標準型として 1945 年まで生産される | 余談だが _ このシャッター生産は後 1946 年 _ ポール・ロワイエが SEM を創立し _ レイナクロスのボディーを使ったセムキム[ Sem - Kim ]を作ることで _ 二眼レフ生産の足掛かりとなる
❖ … オントブロック II | ❖ … ファマフロール II | ❖ … ファマフロール II
本家のコルニュも _ 1944 年 8 月パリ解放と共に _ レイナの生産を再開する | このレンズは焦点距離 50 ミリのままで _ 沈鏡胴を固定鏡胴に変更し _ 名称もオントブロック[ Ontobloc ]とした | この名称は戦前 _ コルニュのオントスコープ( ステレオカメラ ) _ オントフレックス( 二眼レフ )の[ オント ]と _ 固定鏡胴で塊を意味するフランス語の[ ブロック ]を組み合わせたもの | その後 _ 軍艦部を変更して【 オントブロック II 】へ _ そして直進ヘリコイド / F 2 . 8 レンズ付の III 型へと発展する | 最終的にスクリューマウント式のレンズ交換式となり _ 35 ミリ / 50 ミリ / 90 ミリの交換レンズを持つ【 ファマフロール II 】に至る | コルニュ社製のレイナ / オントブロック / ファマフロールに通じて言えることは _ 初期レイナを除き _ シャッターは全てスロー付 _ レンズはベルチオ・フロール / ポワイエ・サフィール[ Boyer Saphir ]付で _ F 2 . 8 / F 3 . 5 ともに 3 群 4 枚構成であり _ トリプレットではない | また _ F 2 . 8 レンズ付を発売すると _ F 3 . 5 付は製造中止にするなど _ 常に高級機を目指していたようである | 単玉付きの【 ウィークエンドボブ[ Week - End Bob ]】という例外もある
⦿
| ……… セム社 ………|
❖ … セムキム | ❖ … オレナック III | ❖ … ベビーセム
レイナクロスは 1946 年に _ ポール・ロワイエ自身の会社 _ SEM 社により名称のみを【 セムキム 】と変更して生産される | この後 _ 様々な機種を発売するが _ 35 ミリ機のレンズはトリプレットタイプが多く _ 4 枚玉付はあまり作らなかった | シャッターは 1947 年まで _ 1 / 25 〜 1 / 200 秒の自社製エバーセット式シャッターだった | しかしこの年 _ フランス政府が戦争賠償としてドイツのゴーチェ社( プロンターシャッターメーカー )から接収した大型工作機械を購入したきっかけに _ セット式 1 〜 1 / 400 秒の Orec シャッター付を発売する | SEM は 1948 年 _ 軍艦部を変更したオレナック[ Orenac ]を発売した | また 1950 年には _ それまでの前玉回転式を直進ヘリコイド式にした【 オレナック III 】を _ 前玉回転式のベビーオレナックと共に発売する | その後 _ ボディーを全く新しくして【 ベビーセム 】を発売した | レンズは前玉回転式ベルチオ 45 ミリ F 2 . 8 のトリプレットタイプ / 1 / 15 〜 1 / 250 秒シャッター付という _ やはり中級機であった | レイナという _ ひとつのカメラから発展していったふたつの違う会社のカメラ _ 果たしてどちらが良いカメラなのか | どちらが時代にマッチしていたのかは明確にいえないが _ コルニュ社の方は _ 戦前からの高級カメラ作りの思想が伺える製品なのに対して _ SEM 社の方はコストを押さえ _ 安いカメラを多く売るという戦後的な発想があるように思える
⦿
| ……… M . F . A . P . 社 ………|
❖ … ブロックメタル 41 | ❖ … リンクス II | ❖ … ベビーセム
さて _ 話は 1941 年に戻る | レイナの発売があった同年 _ M . F . A . P . から 1940 年代初の 6 × 9 センチスプリングカメラ _ 【 ブロックメタル[ Bloc Metal ]41 】が発売された | 同社の特徴である洒落たアルミダイキャスト製のボディーではあるが _ 後の製品のような個性はまだ備わっていない | しかし _ 占領下のパリに会社があったにも関わらず _ リンクス[ Lynx ]I = 1942 年 / リンクスコンパー /【 リンクス II 】= 1944 年 / リンクスドュニュイ = 1945 年と _ 次々に新製品を投入していった | リンクスシリーズは _ 全てベスト判の 3 × 4 センチ判フォーカルプレーンシャッター機で _ ベルチオ・フロール 50 ミリ F 3 . 5 / F 2 . 8 _ またはアンジェニュー Z5 _ 50 ミリ F 2 . 9 付のリンクスIIを主軸機種として _ 1952 年頃まで生 産される | M . F . A . P . 社は _ ポンティアック[ Pontiac ]ブランドで _ 1938 年に偏向フィルターの製造でスタートしている | 創設者はラロッシュ[ Laroche ]という人物で _ パリに工場があった | その後 _ ドイツの 6 × 9 センチ判スプリングカメラ _ エブナーそっくりのポンティアックでカメラメーカーの仲間入りをする | 同社はその後 1951 年 _ 工場をパリからモロッコのカサブランカに移し _ [ Made in Morocco ]のカメラを 1954 年まで生産している | この転移の時期に発売された機種には[ Made in France ]と[ Made in Morocco ]の 2 機種がある | この後期型はアフリカ大陸で唯一作られたカメラではないだろうか | しかし _ パリからカサブランカに移って 3 年目 _ 会社創立から 16 年目の 1954 年 _ M . F . A . P . は解散する | この間 _ 数多くの新製品の開発をしていたようだが _ その中の 1 台がリュミクラブの元になる 6 × 6 センチ判カメラ _ ベルサイユ[ Versailles ]がある | ベルサイユの特徴は映画用の 65 ミリ幅パーフォレーションのあるフィルムを使い _ フォーカルプレーンシャッターを持つことである | その他 _ 1 〜 1 / 200 秒のシャッター / 連動距離計 / レンズ交換式など _ ライカタイプをそのまま 6 × 6 センチ判にしたような _ かなり魅力のあるカメラであったが _ 残念なことにというか _ やはりというか _ 前宣伝だけで発売はされなかった
…………… ◤ 戦後のスプリングカメラ ◢ ……………
| ……… セム社 ………|
❖ … デーエル 6 × 9 | ❖ … テルカ XX | ❖ … テルカ I・II・III 型 | ❖ … テルカスポール
戦前のフランスで _ スプリングカメラを販売していたメーカーというと _ デュマリア / リュミエール / ガルス / マニュフランス/アデュトレフル / エルマジーなどがあった | その中心的な存在は _ やはりデュマリアだろう | 1848 年 _ パリの西方ラニューに創立された古いメーカーである | 1901 年 _ ラピエール[ Lapierre ]社と合併した後 _ 1930 年にはライカ以前の 35 ミリカメラとして有名なル・サンビュー[ Le 100 Vues ]を作ったモリエール社と合併 _ 正式名称はデュマリア・ラピエール・モリエール社という | ちなみにステレオカメラのカプサ[ Capsa ]シリーズ _ フォールディングカメラのカレ[ Caleb ]シリーズも有名である | 戦後は _ 戦前のスプリングカメラ _ 【 デーエル[ Dehel ]】シリーズを生産していた | 1948 年 _ デーエルのボディーに距離計を持った軍艦部を装着して _ テルカ III と名付けて発売した | その後デーエルシリーズを順次 _ テルカシリーズに変更し _ テルカシリーズは【 I / II / III / X / XX 】の 5 モデルを発売した | テルカ III は _ 当時のフランスでは最高のスペックを持つスプリングカメラであった | レンズは自社製サジッタル[ Sagittar ]95 ミリ F 3 . 5 付/ 4 枚玉であるが _ 張り合わせ面がなく _ 4 枚が独立している面白い構成のレンズ | デュマリアは _ このレンズに相当自信があったらしく _ テスト撮影をカメラ 1 台 1 台に対して行っている | しかし _ このレンズは初期のカメラに装着されたのみで _ 1950 年頃からは名称が変更されないまま _ テッサータイプになった | シャッターは全てプロンターで _ 初期はプロンター II _ その後 SV・SVS となる | レンズは直進ヘリコイド式 _ 距離計と連動する | テルカ X は廉価版で _ 単速シャッターにメニスカスレンズ付 _ テルカ XX はシャッターがジッツオになり _ レンズはマナル[ Manar ]110 ミリ F 4 . 5 になる | テルカIはボディーのトリムもテルカ III と同じクロームになり _ シャッターもプロンター付となった | テルカ II は以前のデーエル 4. 5 × 6 と共に _ フランスでは珍しいセミ判スプリングカメラである | このカメラは 1958 年 _ 【 テルカスポール[ TelkaSport ]】にモデルチェンジする | テルカ II はマナル 75 ミリ F 3 . 5 レンズにプロンターシャッター付で _ 以前のデーエル 4 . 5 ×6 とあまり変わらないモデルであった | テルカスポールは _ セミ判の他に 828 フィルム 28 × 40 ミリ判 / 裏紙付き 35 ミリフィルム 24 × 36 ミリ判と 3 種のフィルムが使えるようになっており _ ファインダーもそれぞれのマスクが _ レバーにより切り替えられる | レンズはサジッタル 70 ミリ F 3 . 5 付 / シャッターはアトス[ Atos ]2 / 1 〜 1 / 300 秒付 / 直進ヘリコイド式 | デュマリア社はテルカスポールを最後の製品として _ 1964 年に全てのカメラ生産を中止することになる
⦿
| ……… シト社 ………|
❖ … ロワイエ 6 × 9 | ❖ … テレロワ | ❖ … ディアリュクス
シトはルネ・ロワイエが _ パリ近郊のフォンテュネイ・スーポワに創立した会社で _ 1950 年代フランスの中心メーカーであった | 1948 年のフォトサロンで【 ロワイエ 6 × 9 】を発表 | アルミダイキャストのボディーと取り外し式の裏蓋 _ プレスの軍艦部と前蓋を持つスプリングカメラである | 合皮張りのボディーはエッジの部分だけ金属を出しており _ タスキの曲線と相まって _ 優雅なスタイルとなっている | シャッターは自社製 1 / 10 / 1 / 25 / 1 / 50 / 1 / 100 / 1 / 200 秒の 5 速で _ その後 _ ボディー側軍艦部上部にセルフタイマーを取り付け _ ボディーシャッターと連動させた | レンズはアンジェニュー _ またはペルチオの F 4 . 5 付 / フィルムは 120 _ 620 両用で _ マスクをアパーチャー部に取り付けると _ 4.5 × 6 センチも撮影できる | この基本モデルを元にロワイエ 6 × 9 を改良 _ 発展させてゆく | 【 テレロワ 】は _ ロワイエ 6 × 9 IV 型に距離計を取り付け _ ファインダー上部だけ合皮張りを剥がし _ テレロワの文字を刻印するという 2 点の変更を行って _ 1950 年に発売された | この距離計は創設者ロワイエが _ リュミエール社在籍時代に考案したもの | 同社の【 ディアリュクス[ Dialux ]】に装着して発売される予定だったが _ 結局 _ 生産されずに終わった | シャッター上部に取り付けられた距離計本体は _ レンズ前玉とギアで直接結ばれた可動ミラー _ その像を 90 度曲げるプリズム _ 二つの距離計像の光軸ずらし _ ファインダーへ送るプリズムから成っており _ ボディー側には _ 距離計本体から送られた像を受ける小さなプリズムがあるのみ | 距離計像はファインダーの中で分離している為 _ 接眼部は一つだが _ 二眼式距離計とでもいうような構造 | またハーフミラーを使っていないため _ 機構が簡単な割に見易く _ 合わせ易い距離計である | さてロワイエ 6 × 9 _ テレロワのマイナーチェンジ _ バリエーションであるが _ すぐにセルフタイマーが取り付けられ _ 間もなくシャッター最高速が 1 / 300 秒となる | レンズバリエーションも増え _ ルーセル[ Roussel ]製レンズと思われるが _ シタール[ Sitar ]105 ミリ F 4 . 5 / スローなしシャッターのロワイエ I rから始まり _ ペルチオ _ またはアンジェニューの F 4 . 5 付のロワイエ II r _ 同レンズでスロー付きの II s _ ペルチオ・フロール 105 ミリ F 4 . 5 付の III s _ ペルチオ・フロール F 3 . 5 /アンジェニュー X 1・F 3 . 5 付の IV 型までがラインアップされた | テレロワの距離計窓は透明ガラスだったが _ ファインダー像との分離を良くする為 _ 黄色ガラスが採用された | その後 _ セルフタイマーがシャッター本体に組み込まれるようになり _ 特徴のひとつであった軍艦部中央ノブが消える
⦿
| ……… ピエラ社 ………|
❖ … ドゥレピ | ❖ … ドゥレピ GT
ピエラ[ Pierrat ]の【 ドゥレピ 】は日本での知名度は低いが _ 自社製レンズとシャッターを持つ作りに良いカメラである | ドゥレピはパリ郊外にアトリエを持っていたアンドレ・ピエラが _ 1942 年頃試作したカメラが元になっている | 1938 年型イコンタをコピーしたものだともいわれている | レンズはテッサータイプのドゥレスティル[ Drestyl ]105 ミリ F 4 . 5 /シャッターはコンパータイプのドゥレストップ[ Drestop ]1 〜 1 / 250 秒 | 戦後間もなく発売された | 1952 年には軍艦部を持った【 ドゥレピGT 】が登場する | 連動式でない一眼距離計を持つタイプと _ 距離計のない 2 種類がある | ピエラ社は _ この他に 6 × 6 センチ二眼レフのドゥレフレックスを作って _ カメラの製造を終えている
⦿
| ……… リュミエール社 ………|
❖ … リュミックス | ❖ … リュミレックス III | ❖ … リュミエール 6 × 6
❖ … リュミクラブ 6 × 6 | ❖ … ベルサイユ
リュミエールは戦前からの大手感材メーカーだったが _ カメラも普及機を中心に 1930 年頃から製造している | スプリングカメラは【 リュミックス[ Lumix ]】/ リュミレックスリュダックス[ Lumirex - Ludax ]/ リュミレックス II /【 リュミレックス III 】などのモデルがある | レンズは自社ブランドのフィドル[ Fidor ]/スペクトル[ Spector ]などで _ 上級機にはアトムやシトのシャッターを使っている | リュミエール社のスプリングカメラは地味 _ 悪く言えば平凡 | 特段 _ 輝いたところのないモデルが多い | この辺りは同じ感材メーカー _ フランス・コダックのスプリングカメラと共通するように思える | そんな中で【 リュミエール 6 × 6 】は _ フランス唯一の 6 × 6 センチ判スプリングカメラであるばかりでなく _ 姉妹機の【 リュミクラブ[ Lumieclub ]6 × 6 】と共に _ 多くの特徴を持っている | 実のところ _ この 2 機種を設計・開発をしたのは M . F . A . P . 社である | しかし同社が _ カメラ生産中止を余儀なくされた救済から _ リュミエール社に引き取られ _ リュミクラブとなって発売された訳である | 勿体無いのは _ 前述した【 ベルサイユ 】に盛り込まれていた数々の魅力的な機構が _ リュミクラブには何一つ付いていない | レンズ交換も出来ず _ レンズシャッターであり _ 連動距離計もない | 実際 _ ベルサイユのフォーカルプレーンシャッターや連動距離計などが _ 何処まで完成されていたかは分からないが _ リュミクラブのフィルム室の高さにかなり余裕があること _ 普通のアイレベルファインダーの他に _ わざわざウェストレベルファインダーを組み込んでいること _ その二つファインダー間にリュミポーズ( 光学露出計 )が余裕を持って置かれていることを見ると _ このカメラが間違いなくベルサイユのダイキャストを元に作られていることが分かる | また _ 黒革をアルミ地でトリムしたボディーデザインに M . F . A . P . 社の面影が感じられる | その代わりといっては何だろうが _ リュミクラブ _ リュミエール 6 × 6 はフィルムレバー巻き上げを採用している | この時代の 120 フィルム用カメラ _ 特にスプリングカメラでレバー巻き上げは種類が少ないので _ 貴重な存在ではなかろうか
…………… ◤ フランスの二眼レフカメラ ◢ ……………
| ……… アトム社 ………|
❖ … オントフレックス | ❖ … エグロン
❖ … アトフレックス I | ❖ … エグロンレフレックス
1940 年代 _ フランスで最初に現れた二眼レフは【 オントフレックス 】だろう | しかし _ これは 1930 年代から引き続いて 1940 年の広告に載っている _ というだけで 1930 年代のカメラというべきだろう | オントフレックスは戦前唯一の二眼レフで( ローライフレックス登場以後の二眼レフ _ という意味で ) _ 620 フィルム使用 6 × 9 センチ判では _ やや広角のレンズを持つなかなか面白いカメラ | 1940 年代に新製品として最初に発売された二眼レフは _ アトム社の【 エグロン[ Aiglon ]】である | 1946 年に発売されたこのカメラは _ いわゆるブリリアント型ファインダーで _ 距離合わせは目測だった | その後は同じボディーを使い _ 上下レンズをギアの噛み合わせで距離合わせを出来るようにした _ 【 アトフレックス[ Atoflex ]I 】を発売 | これは II 型 _ III 型と発展し _ アンジェニュー X 1・75 ミリ F 3 . 5 レンズに自社製アトス II 型シャッター( 1 〜 1 / 300 秒 )を持つようになる | また廉価版の【 エグロンレフレックス 】も発売し _ 順調に生産を続けていた折 _ 同社の販売元 _ フォトレックス社が自社生産の二眼レフを発売することになり _ アトム社はカメラ生産を中止することになる | アトフレックスのボディーは他社へ供給され _ 多くのフランス製二眼レフを生むことになる | アトム社のアトスシャッターは _ このボディー以上に多くのメーカーへ供給されている | ある程度数のモデルを生産しているメーカーで _ アトスシャッターを装着した機種がないのは _ SEM _ コルニュぐらいではないだろうか | フォーカルプレーン機 _ フォカ[ FOCA ]で有名な _ O . P . L .社もレンズシャッター機は一眼レフのフォカフレックスも含めて _ 殆どがアトスシャッターを使用している | アトム社は比較的安価なシャッター生産に集中することで _ フランスカメラ界を底辺で支えていたといえるのではないだろうか
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| ……… セム社 ………|
❖ … セムフレックス | ❖ … オトマチック II | ❖ … ステュディオ
❖ … セムフラッシュ | ❖ … ジョワ・ドゥ・ヴィヴル
1948 年 _ セム社より【 セムフレックス[ Semflex ]】が発売される | 前述したように _ セム社のポール・ロワイエは早くより二眼レフの計画を持っていたが _ セムキムの生産が軌道に乗った同年 _ 満を持して発売したという感じである | シャッターは自社製オレックシャッター / アンジェニューまたはベルチオ F 4 . 5 付のセムフレックス I _ F 3 . 5 のセムフレックス II _ 自動巻き止め機構付き / レバー巻き上げのセムフレックスIIIの 3 種を発売する | 1949 年 _ レバー巻き上げで _ F 4 . 5 レンズ付のオトマチック I _ F 3 . 5 の【 オトマチック II 】を発売 | 最初の 2 種と _ この 2 種に 1950 年 _ F 3 . 5 の 3 枚玉付で _ 赤窓式ノブ巻き上げの S I を加えた 5 種を基本モデルとして改良 _ 発展していき _ 1974 年まで生産される | これらの一般的な二眼レフの他に 150 ミリレンズ付の【 ステュディオ 】 _ ストロボ撮影専用の【 セムフラッシュ 】 _ 1 / 50 秒の単速シャッター付の【 ジョワ・ドゥ・ヴィヴィル[ Joic de Vivre ]】などを発売 | 特にステュディオは 1953 年 _ 世界初の望遠レンズ付二眼レフとして登場以来 _ 1978 年まで 25 年にわたって製造された | セムフレックスは質 _ 量ともにフランスの二眼レフの代表であり _ セム社は順調なセムフレックスの販売により _ フランスで最後までカメラを生産することのできたメーカーのひとつとなる
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| ……… アルザフォト社 ………|
❖ … ドフィン | ❖ … シクロープ | ❖ … アルザフレックス | ❖ … ビオフレックス
1950 年 _ アルザフォトから【 ドフィン[ Dauphin ]】が発売された | このメーカーはフランスのアルザス地方の大きな精鉄所の子会社で _ 有名な設計者ルシアン・ドダン[ Lucien Dodin ]を抱えており _ 彼の設計の【 シクロープ[ Cyclope ]】 _ 【 アルザフレックス[ Alsaflex ]】を輩出した他 _ 120 フィルム判 _ 35 ミリ判の中級機を多く出している | シクロープはレンズとフィルムの間に 2 枚の鏡を置き _ 光路を 180 度回転させることにより _ 撮影時に蛇腹や沈鏡胴を引き出すことなく撮影可能で _ 6 × 9 センチ判 105 ミリレンズ付ながら _ 奥行き 40 ミリという画期的なカメラであった | 1953 年には _ このカメラの為にボワイエ社が設計した _ F 3 . 5 の 105 ミリサフィールレンズにプロンター SV 付が 200 台生産された | アルザフレックスは 24 × 24 ミリ判のボロミラーによる一眼レフカメラで _ 1952 年頃に発売された | スプリットイメージによるピント合わせ / バヨネットレンズ交換 / シンクロ 1 / 100 秒の 1 〜 1 / 200 秒フォーカルプレーンシャッターなど数々の魅力を持った機種だが _ 販売はされず _ その生産台数は非常に少ないといわれている | 1954 年発売の【 ビオフレックス[ Bioflex ]】は左手側に距離ノブ _ 右手側に自動巻き止めの大きな巻き上げノブを持つ本格的な二眼レフである | 前玉回転用のギアが大きく荒いのがデザインのポイントである | レンズはサジェム社ゲパール 75 ミリ F 2 . 8( ビューレンズ ) _ ジャグアール 75 ミリ F 2 . 9( 撮影レンズ ) | サジェム社のレンズを使用しているのは大変珍しい
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| ……… フォトレックス社 ………|
❖ … レックスフレックス | ❖ … レックスフレックス・スタンダール
アトムのカメラ生産を中止させることになった _ フォトレックス社の【 レックスレフレックス[ Rexreflex ]】は 1950 年 _ レンズ交換式二眼レフとして発売される | レンズは 75 ミリ F 3 . 5 と望遠 150 ミリ F 5. 5 が用意された | 組み合わされたビューレンズは _ それぞれ 70 ミリ F 2 . 9 と 100 ミリ F 3 . 5 である | レンズ部はマミヤ C シリーズのようにレンズボードにシャッター _ 上下レンズがボディーに固定されている | この他に普及機として【 レックスレフレックス・スタンダール 】という _ レンズ交換の出来ないモデルもある | 赤窓式フィルム巻き上げ / スポーツファインダーなし / スローシャッターなし / レンズは 3 枚玉 F 4 . 5 と _ かなり切り詰めたモデルだったが _ その後レンズやシャッターは上級モデルと同グレードにまでランクアップされる | このスタンダールも含め _ レックスレフレックスは作りが非常に良くできている | オーストリッチを思わせる厚手の革張り _ 仕上げの良いアルミダイキャストのボディー _ 余計な装飾のないすっきりしたデザインと相まって _ 端正なカメラに仕上がっている | 1952 年に進化形の[ bis ]シリーズを発売したが _ その年にフォトレックス社は経営悪化から倒産してしまう | レックスレフレックスの部品や金型などは _ 以前よりフォトレックス社と親交のあったシト社が引き継ぐことになる
…………… ◤ ライカを目標にしたフォカ 35 ミリ機 ◢ ……………
| ……… O . P . L . 社 ………|
❖ … オントフレックス | ❖ … ユニバーサル | ❖ … スタンダール | ❖ … ユニバーサル RC
パトローネ使用の 35 ミリ機 _ レイナ / ノルカはスローシャッターを持ち _ 3 群 4 枚構成レンズを装着するなど _ 1940 年以降のフランスで考えれば低級機という訳ではないが _ 同時代の世界レベルで考えると _ やはり中級機を超えるものではなかった | そんな中 _ 光学機器メーカーとして戦前より軍事用機器なども作っていた O . P . L .社は _ 1940 年代初めにライカ型カメラの試作を既に終えていた | しかし戦争の経過により軍への供給や販売はされないまま終戦となり _ 1945 年 _ 一般向けにフォカ【 PF 2 】として試作品とほぼ同じ形で発売された | フォカ PF 2 は _ 距離計連動一眼式ファインダー / 独自スクリューマウントによるレンズ交換 / 1 / 20 〜 1 / 500 秒フォーカルプレーンシャッター / シャッター速度調節ノブと兼用の巻き上げノブ / 裏蓋取り外し式などの特徴を持っている | 外観は _ その時代の多くのカメラと同様に _ コンタックスとライカを足して 2 で割ったように見えるが _ 距離計部分やシャッター機構には独特の方法が使われており _ じっくりと研究開発をし _ 十分熟成されて発表されたことが伺える | フォカの開発前提には[ ライカのような精巧で _ システムとして使える小型カメラ ]という理念のあったことは _ 間違いないだろう | 分類すればライカ型カメラである訳だが _ 物珍しさや _ ライカ・コピー機としてだけで評価されるカメラではない | 世にライカ・コピーといわれるカメラは多数あるが _ 発表された時期などを考慮に入れれば _ ライカ・コピー機とはいえない個性を持ったカメラではないだろうか | O . P . L . 社は 1946 年に距離計を取り外し _ 35 ミリの画角用にファインダーを大きくした広角専用機【 PF 1 】 _ 1947 年には【 PF 2 bis 】( 日本では一般にツースターと呼ばれている )を発売 | これは 1960 年頃まで生産されたスクリューマウントのシリーズ _ 3 スター[ PF 3 / PF 3 L ]の基本となるモデル | PF 2 からの改良点は _ 軍艦部と巻き上げノブのデザイン変更 / シャッタースピードを 1 / 20 から 1 / 25 秒 / シャッターブレーキの装着など | フォカ独特の[ ジャリ ]というシャッター音は _ プラスチック系材質の歯車を持つシャッターブレーキより生まれる | 【 PF 3 】は _ PF 2 bis にスローシャッターを組み込んだモデル | PF 3 L はレバー巻き上げのモデル | そして 1949 年 _ 【 ユニバーサル 】が発売される | これは PF 3 をバヨネットマウントに変更したモデル | スクリューマウントのフォカ( レンズ脇のプレートに星印があるもの )の距離計は _ 標準 50 ミリレンズのみ連動の構造になっていた | スクリューマウントの 50 ミリレンズ( F 3 . 5 / F 2 . 8 / F 1 . 9 )にはヘリコイドがなく _ ボディー側のヘリコイドでレンズを繰り出す方法になっている | 距離計のカムを押すのはボディーに付いた 50 ミリ用のヘリコイドであり _ 繰り出し量の違う他の焦点距離の交換レンズでは _ レンズと距離計カムは連動しない | 後にはボディーヘリコイドを廃止し _ マウント部から出ている距離計連動ビンをレンズ側から押すタイプに変更 | レンズもダブルヘリコイドにして _ 全ての交換レンズが距離計に連動するようになった | 1955 年 _ レバー巻き上げのユニバーサル R に発展 | 広角専用機 PF 1 は _ 1954 年にボディー前面の巻き戻し切り替えレバーを廃し _ シャッターボタンを押しながら巻き戻す形式に変更 _ ボディー上下のトリムを黒塗装とした【 スタンダール 】にモデルチェンジする | 1961 年 _ フォーカルプレーンシャッター機フォカの最終型 _ ユニバーサル RC が発売される | これはユニバーサル R のファインダー _ 距離計部分を変更したもので _ それまでの小さいファインダーを一新し _ パララックス補正式 50 ミリ用ブライトフレームの等倍ファインダーを装着したものである | 距離計はスペースの点でやや簡素化され _ 基線長も短く( 32 ミリ )なっている | 50 ミリレンズを使用する場合はファインダー像が大きく使い易いが _ 他の交換レンズの場合は以前と同じように _ ユニバーサルファインダーに頼ることになる | ボディーサイズも限界にきており _ このままで _ スペックアップは望めなかったのだろう | 既に O . P . L . 社ではレンズ交換式一眼レフ _ フォカフレックスIIも発売しており _ 【 ユニバーサル RC 】は 2 , 000 台弱で生産中止となり _ フォカのフォーカルプレーン機は終焉を迎える
…………… ◤ 2 種類ある 35 ミリ一眼レフカメラ ◢ ……………
| ……… O . P . L .社 ………|
❖ … フォカフレックス I・II 型・オトマチック
35 ミリ一眼レフは _ フォカフレックスとサボワフレックスの 2 種類だけである | 共にレンズシャッターであり _ 同時期に発売されている | 【 フォカフレックス 】は _ その凝ったというか _ 奇抜というか _ 独自のファインダー系で有名である | 3 種のモデルがあり _ I 型は 1959 年の発売 _ レンズはオプラール・コロール 50 ミリ F 2 . 8 / シャッターはアトム製 1 〜 1 / 250 秒 | 1960 年発売のオトマチックはセレン露出計を取り付け _ シャッタースピード優先AEとしたモデルで _ シャッター _ レンズは I 型と同じ | II 型は I 型のシャッターをプロンターフレックスとし _ レンズ交換式にしたもので露出計はない | 交換レンズはネオプレックス 50 ミリ F 2 . 8( コンパクトだがトリプレットタイプ )/ レトロプレックス 35 ミリ F 4 / テレオプレックス 90 ミリ F 4 / スーパーテレオプレックス 150 ミリ F 4 が用意された | O . P . L .社にはフォーカルプレーン機フォカの他に _ レンズシャッター普及機のフォカスポールのシリーズがあり _ フォカフレックスは _ このフォカスポールの流れを汲むモデルである | 裏蓋の形状 _ フィルム室の眺めは _ 大きさこそ違え同じといってよい | フォカフレックスは[ シンプルな外観が故に _ この奇抜かつ複雑なファインダーを考え出した ]といわれるが _ まさにその通りで _ シンプルな外観とはフォカやフォカスポールに共通のものであり _ ユーザーにも違和感なく受け入れられる形 _ ではないだろうか | ピントグラスのないフォカフレックスのファインダーは _ 中央にスプリットイメージがあるだけで _ 前面素通しであり _ レフレックスカメラのファインダー特有のボケ効果がなく _ 画面の全てにピントが合って見える | これが _ フォカスポールのやや暗いガリレイファインダーの見え方に良く似ているというか _ そう感じてしまうのである | フォカフレックス I 型や【 オトマチック 】はレンズ交換式でない為 _ その光学系を眼の当たりにすることは出来ない | ファインダーを覗き _ 撮影しても _ このカメラが世界で唯一のファインダー系を持つとは気が付かない | この複雑な光学系を意識させないこと | これがフォカフレックス最大の特徴ではないだろうか
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| ……… シト社 ………|
❖ … サボワ・II C・III F | ❖ … サボワフレックス I・II 型・オトマチック
シトは 1956 年 _ 35 ミリ機の生産を始め _ 1960 年代中頃まで続く | その間 _ 多種類のカメラを発売した | 最初のカメラ _ サボワ[ Savoy ]は裏蓋がなく _ レンズボード部からフィルムを入れる方法であった為( すぐに普通の裏蓋タイプに変更された ) _ その後のボディーもフィルム室に空間の多い _ 面白い構造になっている | このボディーはシト社の最後のカメラ _ サボワフレックスまで同一である | 【 サボワ II C 】は _ サボワにアルノー製単独露出計を内蔵したモデル | ベルチオ 50 ミリ F 2 . 8( トリプレットタイプ )/自社製 1 〜 1 / 300 秒シャッター付 _ これは他のサボワシリーズと共通である | 【 サボワ III F 】は軍艦部の異なる後期モデルで _ フラッシュキューブが取り付けられるタイプ | ファインダー内で _ 絵文字により距離表示が読みとれる機構が付いている | フラッシュ使用を前提にしている為か _ スローシャッターはない | 【 サボワフレックス 】には 3 種類のタイプがある | I 型はピント合わせが前玉回転式 / II 型は直進ヘリコイドに | 最後の【 オトマチック 】はセレン露出計を組み込み _ AE 化したモデルである | レンズはベルチオ 50 ミリ F 2 . 8( トリプレットタイプ )/ シャッターはプロンターレフレックス 1 〜 1 / 300 秒( 後期は 1 / 500 ) | レンズ交換はできない | サボワフレックスはフォカフレックスと違い _ オーソドックスな機構を持つカメラである
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| ……… スペシャリテ・ティロンティ社 ………|
❖ … ST 280 | ❖ … コルベット
スペシャリテ・ティロンティは戦前からレンズ製作や _ ライカなどの輸入を行っていた会社である | サンタンベール[ Saint - Ingbert ]のサロプチコ[ Saroptico ]社にライカ III a( いわゆるモンテザールライカ )の組立を発注したのも _ この会社である | 戦後 _ スペシャリテ・ティロンティ社は 2 種のカメラを製作しているが _ どちらもドイツのキング社のカメラを元にして作られている | 【 ST 280 】は上級機で連動距離計を持ち _ レンズはアンジェニュー 45 ミリ F 2 . 8 /シャッターはアトス 2 _ 1 〜 1 / 300 秒付である | もう 1 台は【 コルベット[ Corvette ]】といい _ 距離計なしでレンズも F 3 . 5 である | どちらも生産期間が短く _ あまり数も多くない
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| ……… FEX 社 ………|
❖ … ウェベル
FEX は多種類のベークライトやプラスチック製の普及型カメラを生産している | 名称だけでも 50 以上あり _ その上 _ 色や前板のデザインを少し変えたバリエーションが各々にあるといった状態で _ 兎に角 _ 全体は把握できない | OEM で他社販売されたものもあり _ 厄介である | しかし _ 35 ミリ機は【 ウェベル[ Weber ]】の名称で統一されており _ 基本的なボディーも 1 種類なので _ まだ良い方である | また 35 ミリ判では流石に単速シャッター付や _ メニスカスレンズ付はない | UGO - LANTZ 製やイカール[ Ikar ]50 ミリ F 2 . 8・F 3 . 5 レンズ / アトスシャッター付カメラが多い
…………… ◤ ブローニー判普及機/ボックスカメラ ◢ ……………
| ………MIOM 社 ………|
❖ … フォタックス III
FEX 社と並んでベークライト製のカメラを多く製造していたのが MIOM である | 同社は 1936 年から1962年まで 30 年近くの間 _ メニスカスレンズ付ベークライト製カメラのフォタックス[ Photax ]のみを作り続けたメーカーである | 【 フォタックス III 】は MIOM 社では一番知られたカメラである | ボワイエ・セリ VII・固定焦点メニスカスレンズに 1 / 25 〜 1 / 100 秒・T シャッター / 絞りは F 12 . 5・F 22 と _ ごく普通のスペックだが _ このカメラの特徴はレンズキャップにある | レンズに取り付けるとシャッターが押せず _ シャッターロックも兼ねている | 当時は _ これがかなり好評だったようだ
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| ……… ティロンティ社 ………|
❖ … バンコ 4 . 5
ティロンティの【 バンコ[ Banco ]4 . 5 】はフォタックス III に良く似ているが _ 別のカメラ | メーカーのカフタ[ Kafta ]社はカフタックスというカメラを生産していたが _ ティロンティ社が販売元になったのをきっかけに _ 名称をバンコと変更する | 3 種類ほどのモデルがあるが _ バンコ 4 . 5 は上級モデル | シャッターはアトス 1 _ 1 / 25 〜 1 / 150 秒付/レンズはティロンティ製トランスパール[ Transpar ]80 ミリ F 4 . 5 / 前玉回転式の距離調節を持つ | ティロンティ社のレンズ付のカメラは数が少ない | また 6 × 9 センチ判カメラに 80 ミリレンズ付というのは _ 世界中にもあまり例がないのではなかろうか
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| ……… ジョルジュ・パリ社 ………|
❖ … GAP 3 × 4 | ❖ … ゴルディ
ジョルジュ・パリ[ Georges Paris ]の【 GAP 3 × 4 】はが戦争直前に発売した _ 127 フィルム 3 × 4 センチ判のボックスカメラ | シャッターはインスタントとポーズ | レンズ前板には色々なバリエーションがある | 他に 6 × 9 センチ判のボックスカメラや _ ベークライト製カメラもある | 【 ゴルディ[ Goldy ]】は _ 外装がボール紙製の 6 × 9 センチ判ボックスカメラ | 絞りは 2 段階で _ 緑色のフィルターを内蔵する
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| ……… SPO 社 ………|
❖ … スポボックス
SPO の【 スポボックス[ SPO - BOX ]】は _ メカオプティック・フォトという会社のボディーを使ったカメラである | この会社は数社に同じボディーを供給しており _ それぞれの供給先で違う前板を取り付け _ 販売されている | シャッターがインスタントとポーズの切り替えしかないブリキのボディーに _ プラスチック製のファインダーレンズを持っている
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結晶の制御【ZEISS LENSの現在】
……… 収録図抜粋 ………
結晶の制御【ZEISS LENSの現在】扉00 結晶の制御【ZEISS LENSの現在】扉01
       
  結晶の制御【ZEISS LENSの現在】扉02   結晶の制御【ZEISS LENSの現在】扉03  
       
  結晶の制御【ZEISS LENSの現在】扉04   結晶の制御【ZEISS LENSの現在】扉05  
       
  結晶の制御【ZEISS LENSの現在】扉06   結晶の制御【ZEISS LENSの現在】サンプル01  
       
  結晶の制御【ZEISS LENSの現在】サンプル02   結晶の制御【ZEISS LENSの現在】INDEX  
……… 収録文抜粋 ………
◤ 我々にとって品質とはただひとつ … 我々が考えている以外の品質はあり得ない ◢
………{ ホルスト・スコルデク 代表理事 }………
ポルシェの本拠で知られる Stuttgart | この大商工業都市の少し東に Oberkochen がある | [ Koch 川の上流]の名を持つこの閑静な地こそ _ 【 Zeiss の町 】そのものである | 世界の光学界に君臨する孤高の巨人 _ Carl Zeiss Stiftung( カール・ツァイス財団 ) | Dr . Horst Skoludek はツァイスの哲学を語る[ ツァイスの財産は人 … 学問・品質の三位一体である ] | この理念は _ 創始者 Carl Zeiss _ Ernst Abbe _ そして Otto Schott が Jena に初めて工場を設立して以来 _ 受け継がれてきた | [ 我々にとって _ 品質とはただひとつ | 我々が考えている以外の品質はあり得ない ]と断言 | ある国では[ Zeiss ]とは[ Spezialleistung ]すなわち【 最高品質の意味で使われる名詞 】だという | 京セラの稲盛和夫会長との懇談でも _ 両者の哲学は完全に一致したという | [ ツァイスはあらゆる光学製品を手掛けてきたが _ 残念ながらまだ _ 未来を占うジプシーの水晶球だけは未完成だ ]と締めくくる | ツァイス経営陣と研究開発陣の頭の中には _ ツァイスの輝かしい未来図がもう完成していることだろう
◤ 品質とは決して妥協しないこと … を意味する ◢
………{ ヴアルター・ベーゼンマッター 光学設計部長 }………
ツァイスレンズの現役設計陣の中核になるのが Dr . Walter Besenmatter | 光学設計のうち _ 特に基礎となるコンピュータ演算による設計を担当している | この設計は _ 1961 年に Dr . Erhard Gratzel が開発した【 グラッツェル法 】と呼ばれるもので _ やはり世界に先んじたツァイス技術のひとつである | レンズを設計するには _ まず目的を決め[ その特定の目的のために _ 最良のタイプを構想する ]と言う | コストやそのほかのファクターは二次的なものにすぎない | 品質とは _ 決して妥協しないことを意味するとも語る | [ ツァイスの哲学 ]を表す言葉である | 【 Brillanz[ 輝き ]】があること _ 【 画面の隅々 】まで[ シャープ ]なこと _ そしてレンズを交換しても色[ 再現 ]性などが【 同一 】であること … この Brillanz という言葉こそ _ ツァイスが初めて開発した MTF 評価法で最も優れたレンズに関する独特の表現なのだろう | また _ 被写体の持つ色を忠実に再現する能力にも[ 細心の注意 ]を配っているのもツァイスレンズの特徴である | それには _ [ Tスターコーティング ]によりレンズ面での反射をなくすこと | 同時に _ [ 低分散ガラス ]を使用して _ [ 色収差もなくす ]ことが基本になっているという | コンピュータなど全くない時代に【 Tessar 】,【 Sonnar 】,【 Planar 】などの優れたレンズを生みだし _ それらの変形が現在 _ 各メーカーによって使われているという事実 | このような例は _ これからも続くだろうと思う | 
◤ ツァイスレンズはただひとつの統一的な哲学 … に貫かれている ◢
………{ ハンス・レッチエ光学電子 システム本部長 }………
ツァイスレンズの優位性は 3 点に集約される | それは _ 確固たる[ 方針 ]に基づいた開発 _ 最良の品質を維持する[ 管理 ] _ そして長い[ 伝統 ]だと指摘するのが Mr . Hans Letsche | 長い伝統を語る時 _ [ Planar ],[ Tessar ],[ Sonnar ],[ Biogon ],[ Olympia - Sonnar ]そして[ Hologon ]などの開発史が正確な年号とともに次々に口から飛び出す | さらには[ 反射防止コーティング ] _ [ 内面反射防止塗装 ] _ [ レンズ接着剤 ] _ [ 非球面レンズ ] _ [ MTF 測定法 ]…… | Mr . Hans Letsche が信念としているのは[ 良いレンズとは _ その【 量 】ではなく _ その性能に【 欠点のない 】ことこそ重要だ ]という点 | それは確固たる方針 _ 最高の品質管理 _ そして長い伝統がないと実現できない _ というわけである | ライツ社については …「 ライツは伝統や品質の点で大いに尊敬はしている | だが _ そのレンズシステムには様々な哲学が入っている 」つまり _ ライカの交換レンズには _ 自社製のほかに _ ツァイス _ シュナイダー _ それに日本の各メーカーのそれが混じっていることを指摘 | 一方ツァイスレンズはただひとつの統一的な哲学で【 貫かれて 】いる | またレンズ 1 本 1 本の MTF[ 特性を公開 ]している点も違うと指摘 | レンズを交換しても _ ツァイスならば[ 真っ赤な屋根が煉瓦の屋根に写ることは決してない ]
◤ ツァイスは世界最小から最大まで … アルファからオメガまで … すべてを作ってきた ◢
………{ ヴォルフガンク・ファイファー科学技術広報部長 }………
ツァイス製品の長い伝統を語るとき _ 欠かせないのが Dr . Wolfgang Pfeiffer | 肩書は[ 科学技術 ]広報部長となっているが _ 実は Optisches Museum Oberkochen _ つまりツァイス[ 光学博物 ]館の館長でもある | 特に[ 顕微 ]鏡の権威で _ 顕微鏡の歴史あるいは現代の手術用顕微鏡などに関して多くの論文を発表している | 顕微鏡は 17 世紀にオランダの眼鏡商が発明したが _ カール・ツァイスが事業を始めたのも[ 顕微鏡生産 ]から | 特に _ E.Abbe が 1886 年に開発した Apochromat【 色消し 】レンズは顕微鏡史上でも最も重要な発明 | また _ ツァイスでは直径わずかに 1 ミリという世界最小の顕微鏡対物レンズも作った | 望遠鏡もやはり 17 世紀にオランダで完成したというが _ ツァイスも 1897 年に早くも[ 天体望遠 ]鏡を開発 | 現在では _ 反射式望遠鏡やシュミットカメラなど天体[ 観測 ]機器で No . 1 の存在である | 1971 年に Max Planck 研究所が直径 3 . 5 メートルという[ 世界最大の反射鏡 ]をツァイスに発注 | この他 _ [ 赤外線 ][ 紫外線 ][ X 線 ]カメラや多くの【 宇宙計画 】で活躍 _ ツァイスの先進技術は【 底】が知れぬほど【 深い 】のである
◤ T スターはレンズにおける Deus ex Machina[ 救いの神 ] … である ◢
………{ ヨアヒム・ケメラー 光学電子システム開発部長 }………
ツァイスによる【 コーティング 】の発明はレンズ設計者にとって _ まさに Deus ex Machina【 救いの神 】だったという Dr . Joachim Kammerer | ツァイスのほうが先に開発していたコーティングだったが _ 軍事機密の関係でパテントはアメリカのメーカーが取得してしまった経緯がある | そして[ T スター ]の登場で[ 全可視光に対して _ レンズ 1 面でたった 0 . 2 % の残留反射しかなくなった ]という | 他のメーカーが 5 層の部分を[ 6 層 ]にしてあり _ 1 層は[ 1 / 10 ミクロン以下 ]の厚さ | ただし _ 層の数が多ければ良いわけではなく _ 光学ガラスの[ 屈折率 ]や[ 曲率 ] _ それに[ 光の波長 ]によって _ コーティング層のタイプや厚さを変えるという | つまり _ バランスの取れた設計が必要なのである | さらに Dr . Joachim Kammerer は[ 写真の表現には解像力が直接 _ 関与していない ]と断言する | 解像力中心主義のメーカーが聞いたらビックリするような発言だが _ [ 写真のクオリティーを高めるのは _ 【 コントラストの再現性 】である ]と言う | 世界で MTF 測定機を品質管理にも使い _ 受注製品だけでなく一般市販レンズも全て 1 本 1 本 MTF 検査するのはツァイスだけである | すでにご存じだろうが _ これこそツァイスレンズの最高品質を保証する唯一の手段なのだ | [ 品質管理 ]とは _ このような【 完全 】主義からのみ生み出されるものなのだ
◤ 鏡胴にも思想がなければツァイスの性能を維持すること … は不可能だ ◢
………{ クリスチャン・ルートヴィッヒ 光学機械設計部長 }………
レンズの[ 色再現 ]性の決めてのひとつは鏡胴内部の【 乱反射 】 _ つまり内面反射の防止だが _ ツァイスは鏡枠に特殊な[ 内面反射防止塗装 ]を実施している | それは[ ツァイスの研究所で開発されたもので _ 成分はやはり【 最高機密 】]であると言う | そして _ 鏡枠の組立は専門技師が 1 本のレンズを初めから終わりまで一人で行う | まさに[ 手作り ]の世界そのままで _ ドイツの古き良き伝統である【 マイスター 】制度が最大限に活用されている | 機械精度[ 許容誤差 ]はわずかに[ 1 / 100 ミリ以下 ]だという | また偏芯のチェックは組立の途中で 3 回以上は行われるという厳密さだ | この完璧主義故にツァイスに限らず _ ドイツ製品は丈夫で長持ちする | 確かにツァイスレンズは他メーカーよりも大きく重いものが多い | だが _ それは最高の性能を発揮するための最適な[ 光学ガラス ]の選択と _ その性能を維持するための丈夫な[ 鏡胴 ]から _ 当然の帰結であると考えるのがツァイスの思想 | だからツァイスレンズの大きさと重さ _ それに価格とはツァイスの思想の表れであり _ すなわち優れた性能の【 証 】でもあるのだ
◤ ガラスを素材にしながら最先端技術を開発すること … それが我々に課せられた … 使命である ◢
………{ ヘルムート・ティーチェ 光学営業技術部長:ショット社 }………
マイン川とライン川の合流点に古都 Mainz がある | ここにカール・ツァイスグループのもうひとつの柱 _ Otto Schott Glaswerke が広大な敷地を占める | 1884 年に Schott が Zeiss や Abbe とともに設立した Jenaer Glaswerke Schott & Gen. ( Glastechnische Laboratorium ) の現在の姿だ | 光学ガラスだけでなく _ あらゆる分野の[ 特殊ガラス製品だけでも 25 , 000 種類 ]を製造し _ [ 光学ガラスのみで 250 種 ]を数えるという | ツァイスレンズに使われている最高級の光学ガラス素材は _ 当然この Schott が供給しているわけである | 直径 3 . 5 メートルの反射望遠鏡の特殊セラミック素材も Schott 製 | とくに _ [ 低分散比 ]の特殊光学ガラスはすでにツァイス T * レンズに採用され _ 高画質をいかんなく発揮している | [特殊ガラスやガラスセラミックの応用には【 限界 】はない … ]などは京セラの思想と軌を一にするものである | 優れたガラス素材を提供する Schott _ それを優れたレンズに完成する Zeiss _ そして優れたコンタックス一眼レフボディーを作る京セラ | この 3 社は世界の[ 光学界 ]をリードする強力な[ トリオ ]を【 形成 】している
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収束光の密度【世界のLENS群】
……… 収録図抜粋 ………
収束光の密度【世界のLENS群】扉 射撃鑑査・空撮用・宇宙使用・気象観測用写真・扉
       
  収束光の密度【世界のLENS群】INDEX   no image  
……… 収録文抜粋 ………
レンズの魅力は _ つまるところ _ それが単なる【 ガラスの塊 】ではなく
光との闘いの軌跡が[ 凝結 ]したものだから … ということに尽きるのではないだろうか
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それはまた _ 光を[ 分散 ]・[ 屈折 ]させ _ [ 反射 ]・[ 吸収 ]して
理想の映像をもたらすべく投入された 〓 膨大な知力の集積でもある
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レンズの収差は _ まず _ それらの【 物語 】を知ることで
想像力と情熱をかきたてられるところから始まる
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そして実際に手に入れた場合 _ [ 外観 ]の魅力にとりつかれるのが常である
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ここでいう外観とは形態や塗装のことではない
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ガラスそのものを【 凝視 】することから得られる 〓 吸い込まれるような【 透明性 】の魅力である
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じっと見つめていると _ 深淵より何か囁くような光の【 ざわめき 】が感じられるのである
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特に緋色の反射防止膜のあるレンズは _ [ 怪しい色彩 ]の揺らめきで
見る者を誘い込むようなところがある
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このような体験をするには大口径レンズが良い
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中でも _ 往年の大口径標準レンズ時代を形成した国産レンズ群には圧倒される
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そのほかでは魚眼レンズが面白い
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とりわけニッコール 6 ミリ F 2 . 8 は _ [ 実 ]用よりも
【 鑑賞 】用に生まれてきたようなところがある
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また大口径の長焦点や反射鏡もレンズが大きいので 〓 十分鑑賞に堪える
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そして最後に[ 描写 ]の【 快楽 】がある
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ここには古いレンズのテスト結果が出ているが
そのデータが現在に比べて劣るところがあっても落胆などしてはいけない
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テストはレンズの性能の[ 一面 ]のみを表すもので
〓 個性あるほかの面を評価するものではないからである

アポランサー | 150 ミリ | F 4 . 5
とても[ 立体感 ]のあるレンズだが _ なぜか色調が黄色気味になるような気がする | 料理しだいで面白い描写をする

ビオター | 58 ミリ | F 2
少々古めかしい鏡胴のデザインで _ 開放時のぼんやりした頼りないような結像が効果的 | もちろん絞ればシャープな写真も撮れるが _ ピントが合っているかどうか気にかけながらの撮影も面白い | [ 温かい色調 ]が得られるため _ 人物写真に適しているだろう

フジノン | 250 ミリ | F 6 . 7
一世代前の大判用フジノンシリーズで _ 8 × 10 判を撮る人達には _ ある種 _ 定番レンズといえる | 後継レンズの現行 250 ミリ / F 6 . 3 と比べるとイエローグリーンの色味が強いが _ [ イメージサークル ]はかなり大きい | 8 × 10 の画面をカバーして _ なおアオリを十分に使える

ニッコール | 21 ミリ | F 4
ニコン S マウント用 21 ミリ / F 4 の光学系を F 用にそのまま転用したレンズ | そのために一眼レフのミラーを跳ね上げ _ 固定して使用する | しっかり作られており _ 開放から全画面がシャープで歪曲がなく _ そして[ 周辺部の光量が理想的に落ち込んでゆく ]という特徴もある

エクター | 90 ミリ | F 3 . 5
この半世紀のレンズの進歩とは一体何であったのか _ と思わせるレンズ | 時間が逆戻りしてオートフォーカスレンズやアスフェリカル非球面レンズがなくなったとしても _ この 90 ミリレンズがあれば別段困ることはない | とさえ感じさせる | [ 自然にしかもシャープ ]に写る

エクター | 35 ミリ | F 3 . 3
このレンズ描写は _ シャープなだけではなく _ これは柔らかさとシャープネスのバランスが取れている | 風景で[ 鉄と雲と水と緑を同時に写して _ それがそのように写る ]とでも記述すればよいか | F 3 . 5 ではなく F 3 . 3 であるところに世界のコダックの誇りを感じさせる

オールドデルフト | 38 ミリ | F 3 . 5
このオールドデルフト 38 ミリ / F 3 . 5 は _ とにかく薄くて小さい | 重さは 100 グラム程だろう | 自動絞りはおろかプリセット絞りも付いていない | こういうレンズの携帯性は抜群で _ レンズキャップ代わりである | 35 ミリでも 40 ミリでもない _ [ 形而上学的香りの強い ]レンズである

コマーシャルコンゴー | 250 ミリ | F 6 . 3
このレンズはコマーシャルエクターと肩を並べる描写を誇る | いや[ コーティングがコマーシャルエクターよりモダン ]だからカラーはもっとよいかもしれない | 250 ミリ / F 6 . 3 というのがいかにもクラッシックでよい | F 5 . 6 では現在の普通の大型カメラレンズになってしまう

RE トプコール | 100 ミリ | F 2 . 8
トプコンの 20 ミリレンズは遅れて出てきたほうであろう | それは _ 既にミラーアップしない超広角レンズとして名を馳せていた 25 ミリ / F 3 . 5 があったからである | フィルター径 62 ミリ _ レンズ後玉はマウントが小さいこともあって約 10 ミリ程 | [ それにしてもよく写る ]レンズである

RE トプコール | 20 ミリ | F 4
127 ロールフィルムを使うエキザクタは _ 近代一眼レフの[ 始祖 ]と言われ _ 独創的な構造と機能を持ったカメラである | 初期の製品は真鍮部を黒エナメルで仕上げたが _ 後年になって[ クローム ]メッキの技術が進み _ カメラにも用いられた | 新時代にふさわしい[ 品格 ]を漂わせる表面処理が受けて _ 各社からクローム仕上げのカメラが続出した

ニコラペルシャイド | 360 ミリ | F 4 . 5
このレンズはとても奥が深く個性的な幻のレンズである | 何百人という人物を写して _ ようやくこのレンズの良さが理解できてくるのでなないか | そんな感じを持った[ 最高のポートレイト用 ]レンズである

ユニバーサルヘリア | 300 ミリ | F 4 . 5
ずっしりと重いこのレンズは _ ソフト目盛り No . 1 から 5 までボケ味が変化し _ 同時に写角も変化する | 肌理が細かく厚みがあり _ ニコラペルシャイド同様に奥の深さを感じさせてくれるが _ さらに[ 新しい感覚のボケ味 ]といってよい

スターリング | 約 190 ミリ | F 16
このスターリングは四隅がけられ _ 開放ではにじみが出るが _ それがまたよい味を出している | あの[ アッジェが使ってい ]たレンズだという噂もある

アポクロマートアーター | 450 ミリ | F 11
このようなレンズは _ どんな写りをするのか何のデータもないので _ 外見やレンズの色を見て _ 経験と直感に頼ることになる | とても[ シャープでグラデーションのある ]良いレンズである

ベリタ | 365 ミリ | F 6
このベリタ 365 ミリ / F 6レンズは使ってみると _ [ 小枝に真綿をからめたような描写 ]をする素晴らしいレンズである | 独特の写り具合が魅力的である

キャノン | 50 ミリ | F 3 . 5
沈胴式のレンズの軽快さは心地よい | それも F 3 . 5 クラスのものがよい | このレンズは絞りを前から覗き込まなくてよいぶん _ エルマーなどよりも近代化されている | [ まったく愛らしい ]レンズである

マクロキラー | 40 ミリ | F 2 . 8
今はもう存在しない国家チェコスロバキア製のカメラである _ フレクサレットは独特の姿をしている | ベラ80 ミリ / F 3 . 5 のレンズはトーンの豊かなレンズで硬すぎず _ 柔らかすぎず _ [ 落ち着いた ]表現をしてくれる

マミヤセコール | 21 ミリ | F 4
良いとはいえない評価だが _ 撮影してみると _ なかなかのシャープネス | プラクチカマウントにはタクマー 20 ミリ / F 4 . 5 という名レンズがあるが _ それより歪みが少ない | このレンズは[ ローライ SL 35 用にも似た ]ものがあり _ レンズメーカー製品かもしれない

コミナー | 35 ミリ | F 2 . 8
このコミナーのメーカー _ 日東光学の製品は種類を絞って着実にレンズのラインアップを揃えている印象が強い | 開放ではハロが少しあるが _ 当時のレンズとしてはごく普通で _ [ 同じ性能のレンズを安く ]というメーカーの主張は _ しっかり生かされている

コムラー | 85 ミリ | F 1 . 4
コムラーの交換レンズ群はリーズナブルな価格で供給されたことで歴史に残るが _ このレンズだけは例外で高価であった | [ ユージン・スミスが日本を撮った ]時に使ったレンズであったらしい

アンジェニュー | 24 ミリ | F 3 . 5
この 24 ミリ / F 3 . 5 の肌理細かく美しいクローム仕上げは _ モノとしての立ち上がりがすごく _ [ 描写などはどうでもよい ]気持ちにさせる | しかし _ ベールが一枚かかったような描写もこれぞフランスという感じがあってよい | しかも美しいのロゴで Paris の刻印が入っている

PA クルタゴン | 35 ミリ | F 4
5 万台ほどしか製造されなかった[ アルパの専用アオリレンズ ]としてシュナイダーが供給したもので _ 1960 年代から 20 年間に 192 本しか生産されなかった | 200 万台に迫ろうというライカなど大衆カメラに比べてはるかに少ない | レンズはプリセット絞りですらない

ホロゴン | 15 ミリ | F 8
1960 年代の[ 驚異的 ]レンズだった | 絞りのない 3 群 3 枚の曲率の強いレンズである | ホロゴンウルトラワイドは _ ほとんどボディーのみを携帯しているようなカメラである | 15 ミリという極端な描写だがシャープで歪みがなく _ コントラストが非常に高い

レフレックスニッコール | 500 ミリ | F 5
[ 手持ち撮影専用 ]と銘打ってニコン F と同じ時期に発売となった | 手持ちで写せるというのは開放 F 5 がきいている | このあと 500 ミリ / F 8 が出たが _ これは低感度のカラーフィルムでは手持ち撮影はできない | それだけにこのレンズの価値は高い

カールツァイス・イエナ ゾナー | 180 ミリ | F 2 . 8
1936 年のオリジナルから始まって東ドイツの崩壊まで 50 年近く生産が続けられた | [ デザインが良い ]のは 50 年代後半のこのタイプである | マウントの交換によりペンタコン 6 にも使え _ レンジファインダーのコンタックス用一眼レフ装置フレクトスコープが直接付けられる

パーキンエルマー | 680 ミリ | F 12
NASA の特殊計測カメラ用レンズを製作しているアメリカのパーキンエルマー社の製品 | 長い焦点距離にも関わらず全長は 7 センチしかない | レフレックスレンズは光路内がほとんど空気なのに対して _ このレンズは[ ガラスで満たされた ]カタジオプトリックタイプである

キャノン FL - F | 300 ミリ | F 5 . 6
1966 年に発売されたキャノン最初の[ フローライト ]( 蛍石 )レンズである( 同時に 500 ミリ / F 5 . 6 も発売 ) | 7 枚構成のうち 2 枚にフローライトを用いてある | 当時は非常に高価なレンズで _ あまり数も出なかったらしいがレンズ自体の作りもよく _ 写りも納得できるものである

ブローニー単玉レンズ
120 フィルムを使用するコダックブローニーの単玉付きから _ ベス単と同様にレンズ/シャッターユニットを外し 35 ミリと組み合わせる | ベス単と比べるとボケがやや繊細さを欠くが _ 焦点が長いことを利用して _ より[ ボリューム ]感がある写真が得られる

トリオター | 135 ミリ | F 4
ツァイス・イエナ製の重く _ しかも普通絞りの無造作なレンズ | マウントはエキザクタ | 数あるエキザクタマウントの中でも安価な位置にあった | 名前からして 3 群 3 枚構成で _ 描写も[ トリプレット独特 ]の味をもっている

ベス単レンズ
ベストポケット・コダック単玉付きからレンズ/シャッターを外し _ ペンタックス顕微鏡対物マウントにセットし _ ヘリコイド中間リングと組み合わせている | ピント位置はほぼ一定にして自分が動いて構図を決めれば _ [ 単玉特有の焦点深度 ]のおかげで外すことはない

ジュピター 12 | 35 ミリ | F 2 . 8
このロシア製のビオゴンのコピーはライカマウント _ コンタックスマウントの両方がある | 驚くべきはレンズの後部がガラスブロックだけという構造で _ そのちょっと[ 怪しいコーティング ]の色と合わせて _ たたものではないと感じさせる

ズミクロン | 50 ミリ | F 2
実写に使ったのは 1950 年代に発売された初期型だが _ 基本的には現在のものと変わりない | 非常にできのよいヘリコイドで _ 操作も滑らかである | データ的には開放から使えるレンズといってよい | どんな被写体でも _ 使う側の[ 予想を裏切らない ] _ 癖のないレンズである

トプコール S | 50 ミリ | F 2
開放では周辺部がやや落ちるものの _ 開放から十分使え _ F 2 . 8 から 4 まで絞ると全画面でコントラストが高く _ [ ヌケがよく ]なる | ヘリコイドや鏡胴の工作もよく _ 絞りが 1 / 3 ずつになっている

ニッコール | 35 ミリ | F 2 . 5
球面収差図を見ると開放の性能はよいが _ 実写では周辺がよくない | コントラスト減少率は絞り F 5 . 6 で両像面が複雑に交差して悪そうだが _ それ以上絞ると全画面がシャープになり _ [ しっとりとした描写 ]で _ なかなかよい感じである | 小さいレンズなので携帯性はよい

ニッコール | 50 ミリ | F 1 . 4
日本製のゾナータイプは _ しっとりとした描写をする | [ アウトフォーカスの描写も心地よい ] | また光を選ぶと _ 淡い光でも十分にトーンの再現が得られる

シムラー | 50 ミリ | F 1 . 5
シムラーのレンズは当初から再現性がよければよしとするところがあった | こんなところにも[ 軍需用の性格 ]が出ているのだろう | ものを撮るとドライに写る | 開放では _ ちょっとフレアが出るが東京光学の戦後すぐのレンズは大体こんなものである

ヘキサノン | 50 ミリ | F 1 . 9
ヘキサーに始まる伝統的なレンズ | いかにもコニカらしい自然でメリハリのある滑らかな写りである | 開放時の中心部はシャープだが周辺は落ちる | 絞っているうちにだんだんよくなっていく | [ 絞ったときの中心部は素晴らしく ]よい | 鏡胴のメッキや作りも素晴らしい

キャノン | 100ミリ | F3.5
コントラスト減少率を見ると開放でも絞ってもあまり変わらない | その高いコントラストは見ていて心地よい | 設計センスは現代でも十分通用すると言ってよく _ 軽い鏡胴とともに[スナップに最適]である | 軽量は有効な武器となることを教える一本である | 
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